前回のブログで

 

 

深川洲崎遊廓の跡地に

訪れたことを記載しました。

その続きです。

 

だいぶ、前回のブログから

間が空きましたね(^^;


理由がありまして...

 

別件もあり...言い訳ごにょごにょ。

・・・。

 

その期間中、

岡崎柾男著「洲崎遊廓物語」を

拝読しておりました。

 

大まかな歴史も知らないで

ブログを綴るのは

亡き女達の御霊に失礼だと思ったのです。

 

但し、同著書(昭和63年7月7日発行)には

「従軍慰安婦」「朝日新聞社」

の単語が出てきます。

 

偏ることなく

花魁、遊女、飯盛女(食売女)の事実箇所を

淡々と感じ、読み取る必要があります。

 

だから、学びの不足している御衣黄が

読み終えるには

大変な時間を要しました。

 

こんなことを書いていますが...

 

同著者は、廓(その手の業界)用語の説明を

丁寧にしてくださっているので

勉強になりました。

 

ありがとうございました💚

 

一例を挙げると...

 

【廻しをとる】

・複数の客をとること

(洲崎物語 P16参照)

 

つづく

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 

(1955年頃、新宿中央通り・風月堂付近。現在閉店)

での著者の実体験に関する

興味深い記述がありました。

(洲崎物語 P7 参照)

   

【サンドッチマン】

・プラカードは持っているが

キャッチと称するポン引き様の仕事

 

*街頭で誘った飲み客を

契約した店に連れて行き

1人当たりナンボ...という

歩合制であった。

 

サンドウィッチマン

=お笑い芸人さん(伊達さんと富澤さん)

としか、私の頭には、なかったので

新たな発見でした。

 

 

 

 

サンドウィッチマン・伊達みきおさん...

2年前のブログで触れていたのですね。

 

お久し振りです。