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監督の一言

早稲田大学高等学院ボート部の監督として、
ボート競技を通じた「自立型人間」育成に努めています。
日々の指導で考えたり感じている事をここに綴り、
皆さんと思いや考えを共有したいと思っています。


練習のできない日々が続いています。



もやもやした状態だと思いますが、
いまやるべきことは、

家族を安心させ、

自宅でできることをやり、

焦らずに漕げる日を待つことです。



君たちのボートは家族あってのボートです。

一つ屋根の下で家族が一つとなり、

いまは少しでも安心した気持ちで過ごすことが大切です。



家族が極度に動揺した状態では、

君達もよいオールは引けないでしょう。



その上で、自宅でもできることは

自覚を持って積極的に進めてください。



学校が活動再開を認められる状況となれば、
今度はそのローイングで、

周囲に元気と勇気を与えてください。


それまでは焦らずに待ちましょう。


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部員みんなの安否が確認できました。


しかし、東北地区の被害は今後悲劇的に拡大するでしょう。

部員内のご親族に被害が無いことを願うばかりです。


先程艇庫に電話して、帰宅難で宿泊した部員達の一人と話しました。

みんな食堂で朝食を頂いているとのこと。


学院卒の村田マネージャーも艇庫番の金刺さんも電話に出られて、
安心して下さいとのこと。


こんな時も学院卒の大学生や金刺さんは頼もしい限りです。

しかし、大規模な余震が続いています。

震源が茨城沖と東京に近いものも発生しているようです。


幸い艇とオールの被害は無かったそうですが、村田マネージャーに依頼して、

再度の大揺れで危なそうな艇やオールの止めの補強をお願いしておきました。



早期の地震沈静化と迅速な事態の復旧を願うばかりです。


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私はライバル慶応を尊敬しています。その福沢諭吉先生の言葉です。

福翁百話 第77話
「身体の発育こそ大切なれ」

■ 本文
父母が子を養育するのは、もとより天然の至情であって、また義務でもある。
 そのやり方をどうするかと言えば、まず第一に、子が産まれたときには、人間の子もまた動物であると観念して、その知愚がどうであるかなどは捨てて問わず、ただその身体の発育を重んじることである。
 牛馬犬猫の子を養うのと同じような心得で、衣服や飲食の加減、空気光線の注意、身体の運動、耳目の修養など、いっさいを動物の飼育法にならってその発育成長をうながし、その「獣体」の根本的な部分の成長に見込みがついたら、そこでようやく、徐々に精神の教育に及ぶというのがよいだろう。
 その教育といっても、幼い時には特に教科を定める必要もなく、ただ家の中やその周囲での家族の言動挙動をちゃんとしたものにして、かりにも醜悪猥雑にならず、残忍にならず、人を偽らず、人と争わず、活発に立ち働いて、家族の団らんも春風のおだやかなように、秋水の透き通ったようになれば、柔軟自在な小児のためには、その家風こそ、無上の良い教師になるだろう。特別の事情にさまたげられない限り、りっぱで活発な精神がそこで子の中に生まれるということは、絶対に間違いないのだ。
 そのようにして七、八歳を過ぎ、ようやく読書推理の初歩に入ろうとするときには、家に教師をまねくなり、または学校に入れるなり、家政の都合次第でどのようにしてもよいだろう。だが、とにかく、身体は人間第一の宝であると心得て、いかなる事情があっても、精神を過度に疲労させて子の体育のさまたげにしてはいけない。
 盲目の人は耳の感覚が鋭敏であるという。つまりそれは目の働きを耳に移しているがためなのだ。それならば、いま身体と精神とが二者相対し、精神に過分な負荷をかけて、その感覚を鋭敏にするならば、身体の養育はおろそかになって自然に衰弱してしまうことになる。それはわかりきったことであるのに、世の中の父母だけでなく教育専門の人までもそれに気づかずに、幼少の時から何かむずかしいことを教えて、むやみに子供の心を過度に働かせて疲れさせているのだ。
 五、六歳の小児に書を読ませて事物の道理を教え、いろんな器械などを与えて物の数をわからせ、さいわいにそこでうまく理解したならば、怜悧な子だといって誉め、ひたすらもてはやす。それだけでなく、少しでも稽古をおこたれば叱られることさえあるので、子供心にも人に誉められようと、自然に勉強の念を起こし、次第にその習慣がついてくるならば、生理の原則はあざむくことはできず、次第に身体の衰弱を覚え、紅の顔色で、丸々と肥り育つはずだったものが、胃弱頭痛などに苦しめられて食物をちゃんと摂ることができず、ますます衰弱してますます活動を嫌うようになる。ようやく成長しても、友達と一緒に行動することもできずに、ただ独りで読書にふけるだけなのである。
 父母はその病身であるのを心配するのだが、同時にその勉強するのを見てひそかに悦び、わが家の子は他のそこいらの子とは違うと、そこで得意になっている者も多いのだ。
 実におろかなことであって、このような子供が成年に至るまで倒れないということ自体が不思議なことだ。たとえさいわいにして存命し、所望の通りに学業を修め終わったからといって、それで何の役に立つことができようか。家のためにも国のためにも、無用の長物というしかない。「まず獣身を成して後に人心を養え」とはわたしの常に唱えるところであって、天下の父母たる者は、決してこの旨を忘れてはいけない。注意に注意しても、なお注意し足りないことであろう。                    
http://keio-mitakai.sfc.keio.ac.jp/public/fukuzawa/detail.php?mitakai_id=&fukuzawa_id=90

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