よりみち | UNIV. of TSUKUBA Rowing Team

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部員が日々の出来事や練習、試合の予定や結果についてかいています。
気楽に書きますので温かい目で見てください!

ブログってすごく難しい。遅れて本当にすみません。

 

こんにちは。2回生漕手の森です。

今丹くんの家でブログを書いています(冒頭だけですが)。いやぁ、丹くん丁寧な暮らしですね…。見習いたいです。

 

 

さて、書き出そうと思うのですが、どうにも筆が乗りません。

なにせネタが散らばっているし、ぼんやりとしかない。しかもみんな、文才がありすぎる。

大作たちのあとに続けだなんて、形式的でキッチュな文章しか書けない身にはつらい話です。

ですが書かないわけにもいかないですので、だらだらとぼやくのもやめにしてまずは指示通り書いていくとしましょう。

 

 

 

まずはお花見レガッタの振り返りですね。

ちょっと僕は3月頭に私用があり合宿に参加したのは後半の3/11からです。そこから回想していくとします。

 

 

皆が3/10に水上TTをし、前半打ち上げを行っているのを見ながら新幹線で戸田入りすると待っていたのが全体off。

タイミングを盛大にミスったな…と思いつつも練習しないわけにもいかないので、残ってた数人と練習を始めました。

 

 

新人戦でダブルに乗っていたとはいえ、シングルはやっぱり難しい。

ただひたすらノーワークとUTをやっていたものの最初は3:00とかで漕いでおり、お前試合出る気あるんかといわれそうな弱弱しい漕ぎでした。エントリーしてしまったものは仕方がないと頑張っているものの、成長は見られず、焦りとともに無為に日々を過ごしていたわけです。

 

 

しかし人間面白いものですね。不意に進化してしまいます。そう、急にブレイクスルーが起きたのです。3月のある日のこと、もっと足使えんじゃね…?と思いしっかり蹴ってみると急に2:25とかでUTを漕げるようになってしまったわけです。いやぁ、あの時は気持ちよかったですね…。なにせ前よりももっと速いスピードで景色が動くわけですから。あの素晴らしい感覚をもう一度…、感じられるようさらに成長したいですね笑。

 

 

まあそこから1回しか1000TTをやらずに迎えた当日。初シングルレースということでもう体はガッチガチ。

しかも早めの予選C組というTARAの暴挙。

 

 

結果は言わずもがなですね。そう、めっちゃくちゃな漕ぎになりました。最初500mで突っ込み、「あれ、早いかも?」とか思っていると一回目の腹切りに襲われました。

「あ、これがレース沈か」と一瞬悟りましたね…。しかしまあ沈は嫌なわけで、どうにか気合で乗り切りました笑笑(本当に気合でとしか言いようがない…)。そしてこのあとに襲う第二第三の腹切りもなんとか乗りきったわけです。

 

 

ここからが本番ですよ、ええ。なんと、ラスト100mで、シートから落ちました。ほんとありえませんよね。自分でも絶望しました。一瞬もう沈した方がいいのではと思ってしまったくらいです。ですがそう甘えられないのが世の中、そこからスーパー、いえハイパー腕漕ぎを行いレート53とかで執念のゴールをいたしました。情けない話です…。

 

 

唯一の救いなのは伴チャがひろおさんだったことですね。ひろおさんの応援の声、めちゃ通るんです。おかげであきらめずに漕ぎきれました笑。ほんと、ひろおさんかっこいいです。

 

 

そして迎えた決勝レース。これもまたひどい話です。皆に見送られ桟橋を出た瞬間、2000m地点で学連の船をよけようとして腹を切りました。回漕中の腹切りですよ。もう自分が怖くなりました。

しかもそこで意味わからんミスも発覚しました。何と自分より先に出ていた鎌刈のオールを僕が使っているのです。

一瞬「???」となりましたが取り違えられたのだと気づき伴チャ(りこさんだったかな?)に伝え鎌刈に相談。結果鎌刈が俺のオールで、俺が鎌刈のオールでレースに出ることになったんです。

 

 

どうですか、非常に幸先が悪いでしょう。

こんなんじゃレースをまともにできんだろうと思ったそこのあなた。

 

 

なんとレースはうまくいってしまうんです、この体たらくだというのに。

 

 

腹切りも一回もなく、最後上げることもできました。いや、うれしかったですね。

一つあるとすれば俺のレーンを鎌刈君がおもっきし侵害しましたけどレース成立したんでまあ、不問としましょう。

またシングルレースしたいなと思ってしまいました。

そして、ちょっと真面目になりますが、決勝がうまくいったのは偏に寺下会長・ひろおさん・けいさんのアドバイスをはじめとする皆さんのおかげだと思っております。ありがとうございました。

 

 

 

この写真結構好きかもしれない…。宇田川さんありがとうございます!

 

 

 

と、お花見はなんとかやりきったわけです。そして時は五大学へ。

 

 

五大学は医学5回生の宇田川さんとダブルです。

この宇田川さんというのがなかなかすごくて、デッドリフト130kgあがっちゃう人。

この人の足蹴りが強すぎて、僕が頑張って足蹴りをしてもついていけず足蹴りを弱くさせてしましました…。申し訳ない。

 

 

お花見から五大学までが1か月弱、しかも宇田川さんは実習が忙しいというのもあり、なかなか練習できないのもあり、2000TTすることなく本番を迎えてしまいました。

もう少し宇田川さんと乗りたかったですね。いや、まだ引退されないのでいっぱい乗りたいです。

 

 

レースでは東京外国語大学のダブルと当たりました。あのイケメンダブルは早いですね…。

情けないレースを1回生たちに見せちゃいましたが、宇田川さんと目標にしていた、「遅くてもきれいな漕ぎ」は達成できましたので、満足しています。

 

 

なんだかんだみんな褒めてくれて、褒められちゃったらやる気出ちゃいますよね。

いや、うれしい。

 

 

 

艇ふきの写真もありました。いや、焼けた。これまだ3月ですからね??

 

 

 

以上が僕のお花見と五大学の振り返りです。ちょっとごちゃごちゃしてしまいました。拙文をお許しください。

 

 

でも今僕は非常にモチベーションが高いです。夏季競漕でクォドに乗ることになったので!

このクォドがまたすごくてですね…。もともとハセケン・丹くんたちと冨永さんが引退する前に一緒にレースに出たい!!ということで出してた案なんですよ。だからハセケン・丹・冨永さん・僕・なりだったんです。

 

 

しかし全日本の関係や、ハセケン・丹がシングルに乗らなきゃいけないというのがあり、大幅なメンツ変更。

冨永さん・たいらさん・鎌刈・丹と5人で行ってきます。

これがまた面白くて、この5人で初回漕いだらまさかのうまく行っちゃって。クォドってこんな速いんだと。

 

 

珍しく大会が待ち遠しい。

4人は一緒に出てくれてありがとうございます!頑張りましょうーーー!

決起会もしたいですね!!冨永さんの引退レースなので、気合を入れていきます!!

 

 

 

 

さて。

ここからは自由な文章のお時間です。筆も乗ってきたところです。もう少しブログにお付き合いください笑。

 

 

……

 

 

一行で矛盾しますが何を書きましょうかね。最近思ったこととかで良いんですかね。

みんな重厚なテーマを扱ってて困っちゃいます。

 

 

ここからは馬鹿なやつが書いた変なブログとして流し読みにでもしてください。

 

 

というわけで。

 

 

 

皆さんペルソナ(persona)という言葉はご存じですか?

 

 

まあ多分聞いたことある人は多いんじゃないでしょうか。ラテン語のペルソナは何を隠そうパーソナリティの語源です。

心理学においてペルソナはユングによって提唱された概念で、人間の外的側面を表した語として有名です。

 

 

この単語ですが、まあラテン語というからには古代からあったわけでして、古代では演劇の際につける仮面のことをさしていました。だから、ユングはこれを外的側面にあてはめたわけです。

 

 

いやなかなか鋭い発想ですよね。人が外に見せる顔を仮面に見立てたと。

 

 

ですが、ペルソナを外面的側面に見立てたのは別にユングが初めてではないのです。

古代ギリシアからいたんです。

 

 

その一人がエピクテトス、ストア派の哲学者です。ストア派とかは世界史や倫理選択ならわかると思いますが、まあ関係ないので置いときます。

で、その人の名言が結構刺さったんですよね。たまたま『ここは今から倫理です』という漫画で知ったのでただの受け売りですが、皆さんに伝えたいなあと。

その名言がこちらです。

 

 

「記憶しておきなさい。君はこの世界という演劇の一人の役者であると、君の役割はただひとつ、与えられた役を見事演じること。」

 

 

これは日本語訳で、だいぶ意訳されています、が、なかなか輝く言葉ですよね。世界を演劇の舞台と見立て、そこに暮らす自分を演劇の役者と見る。

もちろん台本はないです。場面ごとの役割も違う。

授業を受ける時は学生としての自分、部活やサークルではその構成員や先輩後輩としての自分、店に行ったらお客としての自分、もし恋人がいたら彼氏もしくは彼女としての自分、家に帰れば息子もしくは娘としての自分。

求められる役割は、もちろん、というか絶対的に違います。

 

 

そして皆さんは使い分けてるはずです。というか使い分けていないはずがない。その場その場で付け替えている。

だから友達に親といるところで会うと、何か気恥ずかしい。恋人との世界に浸っているところを知り合いに見られると恥ずかしい。バイト先に友達が来ると恥ずかしい。

2つのペルソナがぶつかりあって仮面がうまくかぶれないからなのかなって思ったりしました。人によっては切り捨てるのうまいですけどねー。

 

 

実は、この世界を劇に、人間を役者に例えることって結構されていることではあるんです。

例えばシェイクスピアの『As you like it(お気に召すまま)』の"All the world's a stage" は極めて有名ですよね。

「この世は舞台であり、男も女もみな役者に過ぎない」というセリフから始まる独白です

。「見よ、不幸なのは我々だけではない…」という前のセリフを受けての発言ですが、ニヒリズム的響きを感じます。

*このほかにもたとえた話はたくさんあり、一つ一つあげようとすると枚挙に暇がないので、控えます。

 

 

で、上にあげた二つの名言(セリフ)ですが、状況的には対照的なんですね。

上は人生を幸福に過ごすための秘訣としての金言であり、下は憂鬱なジャック(ジェイクイズ)が一種厭世的な口調で発した独白です。

ペルソナは、「私はこの仮面を臨機応変に付け替え、そして見事演じ切って見せ、生き抜くのだ。」という生への活力にもなりえるし、「この世はしょせん演劇のようなものだ。生まれてから死ぬまで、与えられた環境に合わせて生きていくしかないのだ。」という厭世主義的な感情のもとともなりえるのかなと。

 

 

でもどっちが絶対よくてどっちかが絶対悪いなんてことはないと思っていて。臨んだとて得られない理想のペルソナをあきらめる時には、ジェイクイズを思い出したらうまくいくかななんて思ったりします。

まあ、うまく諦めるための口実ですかね。

 

 

こんな適当なこと言っていたら各方面の皆様に袋叩きにされそうですが、ブログなのでご愛嬌ということで。

 

 

だから最近思ったんです。こんなこと言っていいのかあれなんだけど。

現代社会ってより簡単に、より多くの人を非難、否定できるようになっていると思うんです。もちろん、称賛、肯定とかもですが。

顔が見える人、顔が見えない人、いろんな人からの非難。特に思いやりのない厳しい言葉や誹謗中傷ってとても辛いと思います。自分という存在のすべてを否定されているように感じる。とても心に刺さる。

 

 

でも一つとどまってみるんです。その人に見せている自分も、またペルソナの一つに過ぎないと。その人は自分の一側面だけを攻撃しているのに過ぎないのだと。

真の自分を取り巻くペルソナのうちの一つを、攻撃されているに過ぎない。

そう考えてみるとどうです、いくらか楽な気が僕はします(これってやりすぎると人格の乖離が起きたりするのかなと心配ではありますが)。

そんでもって、その人は自分のペルソナをデバッグしてくれてるんだーみたいな感覚まで行っちゃってもいいかもですね笑。

 

 

とにかく。こう考えることで自分のネガティブさを回避する口実に使いたいと思います。病むことを回避しようと思ってます。

皆さんも人の言葉に必要以上に向き合わなくて、良いと思いますよ。知らんけど。

 

 

ちなみに英語の原文はこちら(ギリシャ語はたぶん誰もわからないし僕もわからないので)

エピクロスのエンキリディオンです

Remember that you are an actor in a drama, of such a kind as the author pleases to make it. If short, of a short one; if long, of a long one. If it is his pleasure you should act a poor man, a cripple, a governor, or a private person, see that you act it naturally. For this is your business, to act well the character assigned you; to choose it is another's.

 

 

 

で、書いてる途中に名言つながりで思い出したんですが、ゆがんで伝わったりする名言も多いんですよ。

まあこれ書くのってただの知識自慢みたいなんですが知識オタクなので許してください。おもしろいな、って思ったんで書くだけなんです。

 

 

皆さん、「ペンは剣よりも強し」って言葉知っていますか?まあ聞いた方がない方が珍しいかなと思います。

現代では、報道機関等による報道の影響力は暴力的支配よりも強い、という意味で(これは大方変わっていない)、ある時は独裁政権に対する言葉として使われたり、ある時は隠蔽工作に対して使われたり。

反権力の象徴として、ポジティブに使われることが多いと思います。

市民や社会の抵抗は、必ずや権力に打ち勝つのだというように。

これはこれで素晴らしい言葉です。

 

 

でもこれ、面白いことに、「ペンは剣よりも強し(The pen is mightier than the sword.)」という言葉が記された場面はもともと180°逆な状況なんです。

 

 

このフレーズを記したのは、19世紀イギリスの小説家、エドワード・ブルワー=リットンです。

書籍の名前は、『リシュリュー』(正式名称はめんどいので省略)。世界史選択者ならわかりますよね??

17世紀の枢機卿にしてフランス王国の宰相にまで上り詰めたあの、リシュリューです。

 

 

そして、この著作の中であの言葉を放ったのがリシュリュー本人です。

 

 

ここで軽くリシュリューについて説明を。

リシュリューは17世紀にフランスの宰相(日本で言う総理大臣)に上り詰め、フランス絶対王政の基礎を築いたといってもいい人物です。

徹底的なマキャベリスト、「第一に国王。第二に国家。」という思想の男で、失脚の陰謀を企てられたら国王の母まで幽閉してしまう人物。

国家の隆盛が第一で狡猾な外交を行い、戦争には厳しく臨み、反徒は農民であろうと貴族であろうと徹底的に撃滅した男。

その容赦のなさから「仮借なきリシュリュー。恐るべき枢機卿は人を支配するというより粉砕した。」と言われました。

 

 

そのリシュリューのセリフなわけです。「??」でしょう?権力を持つ側が何を言っているんだと。

 

 

実はこの著作でのこのセリフ、リシュリューの冷酷さを補強するようにつけられたようなんです。どういう意味なんでしょうか?

 

 

 

なんと、

「まことに偉大な統治のもとでは、ペンは剣よりも強し」、つまり「どんな暴力・武器も、その上に立つ権力者が盤石ならば、そのサインには勝てない」という意味です。

 

 

例えば宰相であるリシュリューが、軍人による暗殺計画を察知したとしましょう。その人を異動・除名させてしまえばいいのです。

権力に歯向かおうとする貴族を察知したとしましょう。その貴族を取り潰し、もしくは罪を着せて処刑すればいいのです。

 

そう、権力者のサインほど力を持つものはない、ということが言いたいのです。

 

 

いや、どうです?意外でしたよね?多分。これもこれで金言だと思いますよ、僕は。

 

 

まあ、ポジティブな意味を持つ、言論が権力に勝つというたぐいの言葉が多かったので、このセンセーショナルなセリフが、だんだんそれらと混同して現在のようになったんだろうなと。

 

 

いや、時の流れって恐ろしいですね。自分の意図した言葉が大いなる力で捻じ曲げられていく。

こういうネタは知識オタクの自分にはとても興味深い反面、言葉を尽くさないとやっぱり意図は伝わらないのかなという危機感をもたらしますね。

 

 

もちろん、戯曲や小説に正確さを求めるなんて愚かなことはしませんよ?

 

 

ただ、日常生活で発した言葉が、意図を歪曲して伝えられるかもしれないということですよ。これはネガ→ポジだからまあいいものの、ポジ→ネガとかなってみてください。

一生もんの黒歴史ですよ。

 

 

最近「2位じゃダメなんですか」もポジ→ネガだと聞いて恐ろしくなっちゃいました。

「相手に伝わるだろう」はやっぱり駄目なんですね…。しっかり伝えないと…。

 

あ、こっちを書いた方が面白かったのかな。

まあ、またいつか、ですね。多分、おそらく。

 

 

 

というわけで、まだまだ書きたいネタはいっぱいあるんですが。

これ以上多くなってもいけないのでね。

なんとなく言いたかったことは2つ。ペルソナ!他人の言葉を気にしすぎるな、と、黒歴史にならないよう言葉を尽くそうね!ということです。戯言に付き合っていただきありがとうございました。

 

 

ところで最近、エルゴを頑張ってます。ウェイトも丹くんと一緒。

とにもかくにも1年生に抜かされそうで怖いんですねぇ。

まあ、不機嫌を表に出さないと決めたので。1年生たちに追い越されても頑張ります~~。

 

 

長くなりすぎちゃってごめんなさい…。

またどこかのブログで会いましょう。さようなら。

 

 

鎌刈がやってくれた声出し。めっちゃでかい。さすが。

 




丹・ほのかさん・ゆきな・さきさん・りこさんといったお店。

豪華すぎた!!!