テストとか多忙とか色々重なってご無沙汰してた日記を書くことにしたのは、今日得たものがとても多かったから(もう昨日だけど笑)
今日は語学のクラスの子の誕生日パーティーをしたのです。サプライズサプライズ。
私はこういうサプライズ企画に携わるのは初めてで、私こんなのに参加しててなんだか大丈夫かなぁ、、と思ったのだけれど、結果は大成功だったのでしめしめでした。
それもそうなんだけど!!!
私が何故この語学のクラスにいて心地が良いのかが凄く凄くはっきりしたので。
まず、今までいたコミュニティの人たちと決定的に違うのは、ビジョンの焦点が似ているということ。
今まで出会った人たちは、大体、今を「今」のために消費する人々でした。私はそれには、ほんとうに馴染めなかった。ほんとうに。それは楽しいけれど、適当に生きているような気がして、不安に押しつぶされそうになって本心から楽しめない。でも周りからは不思議な目で見られて、あの紫色の視線はおそろしかった。
でも、今の語学のクラスの子たちは、エキセントリックだし、ぶっ飛んだ子も真面目な子も天然な子もいて、でもみんな焦点は今じゃない、何処かもっと先の点なの。
今を、「その先」の為に消費する人々なの。
だから誰も私を奇特な目でみないし、それが普通でいられるから、私は素の私を出すのをおそれない。価値観のベクトルが似通ってて、モチベーションが一定に保たれてるということが共有されてるから、誰とどの取り合わせでいても楽しいのです。だって楽だから。
クリエイティブで、常に自分が誰かとは違うということを分かっているし、誰かと安直に同一化したがったりしない。むしろそれをおそれる人々、なんだと思います。
常に人は先をみていなければ、足を踏み出せない。「今の自分」の状態の正誤が分からなくて、バイトがどうとか、サークルがどうとか、阿呆みたいな悩みだったなと思った。
言い方は悪いかもしれないけれど、バイト先なんて利害関係で結ばれているだけで、向こうと私は対等であるべきだし、向こうと私の利害関係がもし一致しないと思うのなら、向こうが私のことを切ればいいだけなのだ。だってその権利を持っているのは向こうだもん。
例え主戦力でもない私が旅行に1週間行ったから回らなくなるような店でも、それは私のせいではないし、私のせいだと向こうが思うのなら私のことなど辞めさせればいいだけの話、なのだ。
だって知らないよ、そんなこと。
悪い?
私だって暇じゃないですけど、それが何か?
私はバイトをしている時よりも、ほかのことをしている時の私の有用性をずっとずっと知っている。
結局、人生強気で生きるしか、私は生き残れない。それが私の強さ。だって私は他の人ほど器用じゃないから