2018年4月30日
福岡県福岡市 筑前 立花山城跡
筑前 立花山城
立花山城(たちばなやまじょう、りっかさんじょう)は、
標高367mの立花山山頂にあった日本の城。
本城の東は松尾岳、西は白岳といい、いずれの山頂にも
出城があり立花山全体を要塞とした大規模な山城である。
元徳2年に豊後国守護の大友貞宗次男大友貞載が築き、
この地に拠ったことにより立花氏を称するようにもなった。
港町博多を見下ろす非常に重要な拠点であり、
戦国時代には大内氏や毛利氏と大友氏の激闘地であった。
戦国末期の天正14年7月末には、当時弱冠20歳の立花統虎(後の立花宗茂)が
この城に籠り、実父高橋紹運の岩屋城を落とした島津勢約4万の侵攻に
徹底抗戦した。
筑前 立花山城
立花山城(たちばなやまじょう、りっかさんじょう)は、
標高367mの立花山山頂にあった日本の城。
本城の東は松尾岳、西は白岳といい、いずれの山頂にも
出城があり立花山全体を要塞とした大規模な山城である。
元徳2年に豊後国守護の大友貞宗次男大友貞載が築き、
この地に拠ったことにより立花氏を称するようにもなった。
港町博多を見下ろす非常に重要な拠点であり、
戦国時代には大内氏や毛利氏と大友氏の激闘地であった。
戦国末期の天正14年7月末には、当時弱冠20歳の立花統虎(後の立花宗茂)が
この城に籠り、実父高橋紹運の岩屋城を落とした島津勢約4万の侵攻に
徹底抗戦した。