伝え聞くところによると、昭和20年代後半、神示により斎場御嶽の香炉の下の地中から銀の壺に入った勾玉が発見された。壇ノ浦の源平合戦で沖縄に逃れた安徳天皇が持っていた3種の神器の「八尺瓊の勾玉」かもしれないということで内密にされた。本物ならば、安徳天皇が沖縄に来たことになる。

★安徳天皇については、源平合戦の際、数え年8歳で入水したことになっている。ところが、安徳帝は死んでおらず、逃れてきたとする地が九州以南に何箇所もある。おそらくそれらの土地を辿り、最終的には沖縄本島にやってきたというのが真実だと思う。琉球王朝の正史『中山世鑑』では、1187年に「源為朝」が初代琉球王「舜天」として15歳で即位したことになっているが、これは、おそらく源氏の目から逃れるための改竄で実際は平家の血を引く安徳帝の可能性が高い。

旧大里村にある「舜天」の墓

★沖縄で発見された勾玉は、極秘裏に昭和32年、宮中に届けられた。本物だったようだ。旧大里村にある舜天王の墓も、言い伝え通りおそらく本物だと思う。勾玉が沖縄から出た、それも琉球王府最高の聖地から。勾玉だけが沖縄に来たとは考えにくく、安徳帝が琉球王であった証左だろう。即位時の年齢はもっと幼く数え10歳くらいのはずだが、本名でそのまま即位すれば源氏の追手に討伐されることになるのは必死、敢えて敵側の「為朝」として欺いたのだと思う。年齢は辻褄を合わせたのだろう。

★750年間も行方がわからなかった勾玉は戦後になってようやく皇室に戻った。ということは、ミロクの御世がこれからやってくることを意味する。勾玉は「世界の王」の印であり、それを持つべき御方がその後で生まれたということになる。言い換えれば、ミロクの世が近づいたから勾玉が適切な場所に戻されたということになる。時期が来るまで、皇室発祥の地と言われる沖縄に勾玉が隠されていたことに、神計りを感じる。現在は、おそらく伊勢「外宮」にあると思う。発見当時、勾玉が入っていた銀の壺が「マナの壺」ならば自ずとそうなる。この勾玉を身につける世界の王は、現・令和天皇(昭和35年生まれ)か、あるいは全く別の人物なのか、神のみぞ知るところだが、いずれにしても日本の天皇がいにしえのごとく世界の皇帝になり、日本が世界の中心になる。