▼チャーチワードの描いたムー大陸。実際は、沖縄あたりまで陸続きだったようだ。

和歌山新宮市と宮古島

 懇意にしていた宮古島の石庭の主、故・新城定吉氏は、「宮古は、かつてのムー大陸の一部であった。ムーの国魂として沈没させずに残したと、神に教えられた」と話していた。

 また、伝説の神業家・浜本末造氏(橘香道)は、約1万2000年前のムー沈没の際、「首都にいた一部の人々は、日本の熊野地方、和歌山に逃れた。そこに新しい宮を建てたから新宮と呼ばれるようになった。沖縄の宮古島は、ムー王国の時代、皇后の御座所であった。現在の大宮御所に相当する。故に、天が『いにしえのみや』と名付けさせた」というような内容を著書で述べている。

 「新宮」と「宮古」、なるほど、宮古島生まれの私としては非常に興味深く、そしてなぜだか腑に落ちる。

 

熊野の神と琉球の神

 もう一つ、興味深いことがある。沖縄の有力神社、琉球8社のうち6社までが熊野権現を祀っている。

 沖縄総鎮守の波上宮を始め、識名宮、天久宮、末吉宮(以上那覇市)、普天間宮(宜野湾市)、金武宮(金武町)などだ。

 熊野の神といえば、熊野本宮大社(田辺市)、熊野那智大社(那智勝浦町)、熊野速玉大社(新宮市)だが、これらの神社で祀られている神が沖縄の神社で圧倒的に多い。

 例えば、熊野本宮大社の祭神は、熊野牟須美神(伊奘冉神

=イザナミ)・事解之男神・速玉之男神・伊邪那岐大神・家津美御子大神(スサノオ)・天照皇大神である。

 波上宮や宮古神社(波上宮から勧請)では、伊奘冉・事解之男神・速玉之男神(イザナギ大神の別称)を祭り、普天間宮では、普天間権現とともに家津美御子大神を祀るなどである。

 沖縄の神社は、熊野から勧請したものではなく、沖縄の霊感者が啓示によって「我は熊野権現である」と明かされて、祀っているものが多い。

 熊野の神の起源が、かつてのムー王国で祀られていた神であるならば、示し合わせたわけでもないのに、琉球(沖縄)と熊野(和歌山)の神社に同じ神が祀られることになったのは、偶然ではなく、人智を超えた力が働いたとしか思えない。

 我々は、皇紀2600年どころか、数万年前から同じ神を祀り続けていることになる。

宮古神社

 

宮古神社