2023年5月28日



あれから1年が経ちました。



そう、今日はぶーちゃんの命日。


16歳から走り屋の世界で生き、26歳でロードレースの世界で生きてきた僕は、たくさんの別れを経験して今日に至ります。



小中高と過ごした仲間も、湾岸や峠で知り合った仲間も、サーキットで出会った人々も、本当に多くの別れを経験しています。

ぶーちゃんとの出会いは、少し特殊。

モトクロスイベントで出会いました。

元々は他店の常連さんで、僕と出会い、“もう一度膝を擦りたい”と思ったぶーちゃんがSAMURAI FACTORYを訪ねて来ました。

いきなり鈴鹿や岡山でロードレースはあまりにも過酷と思い、僕は安全に楽しめるBRIDGESTONEさんの開催する走行会を勧めました。

NSR250Rで一緒に走行会へ。

約20年振りに鈴鹿サーキットの国際レーシングコースで膝を擦れたぶーちゃんの笑顔は忘れる事はありません。

それからぶーちゃんはロードレースの世界へ。



同時にTeam SAMURAI の一員となり、共に選手権を走るようになりました。



ぶーちゃんは決して速くありませんでした。



それでも誰よりも一生懸命にレースに打ち込む姿を見て、『選手権はなかなか難しいし、イベントレースに転向してみる?』と僕が言うと、ぶーちゃんは黙り込んで、少し考えだしました。数分の沈黙の後、『監督、僕は監督と同じ選手権が良いんです。速く走れなくてチームの看板に泥を塗るような結果しか出せてませんけど!すいません!選手権で続けさせてください!』と。





僕はチームの看板などどうでも良くて、ただただ、ぶーちゃんにレースを楽しくして欲しいと思っただけだったので、『それなら選手権頑張ろう』と。。

そんなぶーちゃんの勝てなくても挑戦し続ける姿、そんなぶーちゃんがいつからかカッコよく見えました。



自分のレースもチーム員のレースもチームのイベントも、常に全力で参加してくれました。

そしてプライベートでも僕のことをささえてくれて、色んなことを手伝ってくれて、ぶーちゃんと過ごした時間は僕が1番多かったと思います。



僕がテイストに挑戦しようと思ったのも、ぶーちゃんの挑戦する雄姿に憧れ、もう一度頑張ろうと思えたのも事実です。



そんなぶーちゃんは僕に、『薔薇の花を手に入れるまでは諦めさせませんよぉ!』と意気揚々と筑波サーキットで言い残して去りました。


おかげで諦めることが一生出来なくなりました。



今でも声も何もかも脳裏に焼き付いていて、ふらっと事務所の扉を開けながら『おつかれっすぅー!』言うて入ってくる気しかしない。


あれから1年が経ちました。



早いのか遅いのかよくわかりません。


僕の中でとても大きかったぶーちゃんとの別れ。


誰1人彼を憎む人はいなかった。

本当にかっこよかった。

あなたが残してくれたもの、胸に常に。



Boo chan forever…