個性というもの
狼人は括りというものがあまり好きではない
しかし、この世の中には多くの括りが存在する
地域や国籍、人種、性別に血液型や服装、趣味にまで
括りが存在するのだ
最近狼人がよく聞くのは「韓国人が嫌い」という言葉
この言葉のようにあるグループで括って嫌いになる事
理解できない。
あなたは韓国人の何を知っている?何人の韓国人と接した?
そこには偏見と勝手なイメージと、偏った情報がないか?
逆を考えてみてくれ。あなたが日本人というだけで忌み嫌わ
れていたとしたらどう思うか。
日本人女性は旦那さんが家に帰った時に“三つ指ついて”迎える
日本人男性はとても買春好き。特に年端もいかない女性が好き
日本人はとても消極的で表現力が乏しく一人では何も出来ない
など、様々なイメージがあるだろう。 さてこのイメージ、どの程度
当たっている?これらのイメージで『嫌いだ。』と言われるのだ。
オレはこういう風に言われるのがとてもイヤで仕方が無い。
その人を知ろうともせずにイメージで嫌いにならないで欲しい。
私たちの人間性は、国や性別、宗教、肌の色によって覆されるような
事はないはずです。私たちはみな同じように愛する心、邪悪な心、個性
を持っています。
アメリカには、内向的な人も外交的な人もいます。
日本には、けちな人も寛容な人もいます。
中国には、勇敢な人も臆病な人もいます。
フランスには、だらしない人も礼儀正しい人もいます。
アフガニスタンには、ばかな人も頭のいい人もいます。
ブラジルには、仲間意識の強い人も人と一緒にいる事が嫌いな人もいます。
我々は皆が“人”でなのです。
全体も大切な事ですが、もう少し「個」を見てみませんか?
自分勝手で申し訳ないが、皆さんにお願いです。
もしオレを嫌いになるのなら、正面から見てからきちんと嫌って下さい。
自分らしいと言う事。
誰もが“自分らしく”を理解しているか?
恐らく自分らしいという事を解っていないのではないだろうか
「私は理解している」と思っている人。
それは理想ではないか?思い込みではないか?
人間は決して一つの人格から成り立っているものではない
人間は大きく分けて4つの心から形成されていて、その4つ
の心が創造した“人格”は一つではないのだと考えるのです。
その人格はある『スイッチ』で切り替わる。
これは、解離性同一性障害(多重人格障害)であると言っている訳ではない。
根本的な人格という意味では主人格のままだけれど、異なっている
ココまで書いたが、この意見に反発もあるだろう事から、こうしよう
人格とまでは言わずとも、いくつも「顔」を持ってはいないか?
例えば、狼人の場合を言おう。
小学生の頃から仲が良かった友達が狼人にはたくさんいる。
中学まで一緒に通った地元の友達だ。
こいつ等と遊んでいるとバカになる。いつもバカになる。
とてもウマ合い、どこにも気兼ねなく言い合えたりする。
高校の頃の友達と遊んでいると中身のあまり無い話をしている。
バイク好きが多いので、バイクでどこかに行くとかそういうのが
多い気がする。
大学の頃の友達と遊んでいると、お笑い好きが多いせいかいつでも
盛り上げる事に対して貪欲になる。とても楽しいものだ。
正月に大学の友達を地元の友達連中の飲み会に連れて行った時に言わ
れた言葉が、「あの中ではああいうキャラなんだ?」だった。
ふと気付いた事がある。戻っているんだと。
中学の頃の友達と遊んでいる時には中学生に
高校の頃の友達と遊んでいる時には高校生に
大学の頃の友達と遊んでいる時には大学生に
そして今知り合っている人たちには今を。
異なるが、どれも偽物ではない自分なのだ。
自分にとっては、どれも、どの人格も、どの顔も、どのキャラも好きだ
一つではなく、単純ではなく理解までは出来ないが自分らしいと思っている。
あわよくば、中学の頃のようなバカ騒ぎをしながら生きていきたい。自分らしく。
優しさは内面で
世の中には不器用な人がいる。
人に距離を置かれる人。好かれない人。
そんな人がいる。
でもオレは知っている。貴方はとても優しい人だと言う事。
誰よりも真直ぐにオレ達を見てくれている事を。
誰よりも本気で考えてくれていることを。
しかし、上っ面だけを見るこの世の中では・・・
うわべだけの付き合いの蔓延した人間関係の中では・・・
貴方は誤解され、距離を置かれる。
世の人よ・・・怒鳴る人や厳しい事を言う人を嫌うな。距離を置くな。
その嫌った人、距離を置いた人はもしかすると一番の味方かもしれないぞ。
うわべだけの付き合いを信じるな。見極めろ!!
狼人の知るその人はすぐ怒鳴り口が悪く、とても優しい
常識の枠というもの
狼人は常識の枠を基準としない
常識を良いとも悪いとも言わない
しかし世の中にはそれを絶対基準の様に扱う人達がいる。
それから外れている人をあたかも悪の様に思う人達がいる。
かのA.アインシュタインは言う
『常識とは18歳までに身に付けた偏見の塊のことを言う』
この言葉はじつに的確に捉えていると考える。
『常識』と呼ばれるもの。それは時代、国、育った場所、
人種、性別、趣味、環境、教育、家庭により様々である。
あなたが、もし『常識から外れている』と感じる人が居るとする。
しかしそれは、逆にその人から見ればあなたが常識から外れて
いると感じてるかもしれないのだ。
今日、とある事を話した
「三角形の内角の和は何度になると思う?」
君は言った「そんなの決まってるよ。180度でしょう?」
そう、君にとっては三角形の内角の和と言ったら180度。
しかし、ある数学者にその質問をするとこういうだろう。
「そんな事を聞かれても答えなぞ出せる訳が無いだろう」
君の『常識』と、数学者の『常識』は異なっている
君の持っている常識は平面(2次元)体のみを扱うユークリッド幾何学。
数学者の持っている常識はn次元多様体を扱うリーマン幾何学。
この話はある一例であり、この話で常識を語るなと言われるかも
しれないが、オレにとっての常識の枠なんてのはこんなモノだ。
ある人にとっては知ってて当たり前のこと
ある人にとってはやって当たり前のこと
常識なんてもの、その時々場所で変わるもの・・・捕らわれる事なかれ。
とても自分勝手で申し訳ないが、あなたにお願いがある
『常識』という言葉で『自分』というもの隠そうとしないで欲しい
人の心が見えない人に
自分の思っていることが全て外に聞こえるとしたら・・・
それはどんなにいいだろうと、狼人は日頃思う事がある。
決して口下手な訳ではない。表現力がない訳でもない。
しかし、心で思っている事は・・・言葉なぞでは表現できないものだ。
口に出したとして、それは何やら偽りの色が付着してしまうように思う。
だから、口に出して言うべきではないように思う。
思い遣る事の証明。大切に思う事の証明。愛する事の証明。
慈しむ事の証明。寄り添う事の証明。慕う事の証明。
それは言葉にする事で偽りの色がつき、行動にすることで色あせる。
よくドラマに出てくる『心を見抜く人』をワクワクして見ていたものだ。
全く困ったものだ。人間は『言葉』で考えを伝える事に優れたが、
その分心を覗く事に劣る生き物になってしまった。
心を開く事と心を見せることは違うのだ。 覗きたければ覗いてくれ。
いつでも見せてやる。 惜しみはしない。
人との繋がり
狼人は人との繋がりを大事にする。
今まで携帯電話に登録した人を消した事がない
いつでも連絡してくればいい
何か困ったとき、躓いたとき、遊びたいとき
迷惑だなんて思わないから気軽に連絡してくればいい
先日、大学時代の友人から2年ぶりに連絡があった
卒業後、引っ越してからも忘れてはいなかったよ
そして連絡を貰ったこと、とても嬉しくて涙が出そうになった
「元気じゃない」とつぶやいたその人と今度会う事になった
なにかあったなら話して欲しい、大切に想うから
よく連絡するから繋がりが深いわけじゃない
連絡があまりないから繋がりが浅いわけじゃない
狼人は番号もメールアドレスも変えた事がない
いつでも連絡してくればいい
何か困ったとき、躓いたとき、遊びたいとき
出来ることならなんでもするさ気軽に連絡してくればいい
伝えるべき言葉。そうでない言葉
言葉は難しいもの・・・。
伝えたい事を伝える為に出来たものだけど
コチラの伝えたい事とは違ったものとして
相手が受け取ることがある。
狼人が伝えようとした言葉を、彼女は別の
意味で捉えた。
もちろんコレは彼女が悪いわけじゃない。
考え無しに軽率に踏み込んでしまった結果
発言するべきでない時があるものだ
相手の気持ちの理解が欠ける
相手への配慮が欠ける
分かった風な言葉を投げつける
全てにおいて考えが足りないという事。
「相手にちゃんと伝わらない言葉は無意味」
そう言われた。
本当にそうだ。届かなければ無意味になる
これから、伝えていこうと思う。
伝えるべき時に、伝えたい事を。
何かの終わり
自分の環境が変わるとき。
それに対応できるかどうか不安になるものだ。
あと数ヶ月でオレの周りで環境が変わってしまう。
この影響は半年後には襲ってくるだろう。
今までの生活がなくなるかも知れない。
今まで均等に保ってきたバランスが崩れる。
生活が変わる。
それは、環境を変えることをせず、傍観してきた結果だった。
何故誰も動かない?不平不満を言うだけか?
動け!!何かが崩れる時、終わる時、それは今まで出来なかった
事を始められるチャンスじゃないか!!
終わりはくる。不変のものはない!!
一つの枷が外れただけだ!!
信じる。騙される。構わない。
自分で言うのもなんだけど、狼人は騙されやすい。
人を信じることにかけては自信がある。
まれに、自ら騙されにいく。
世の中のみんながどんな考えを持って人を信じ、身を委ねるのか
知らない。
けれど、オレには『この人になら騙されても構わない』と思える人がいる。
信じるのでない。騙されてもいいのだ。
周りには「間違っている」といわれる事がある。
そして、「なぜあの人なんだ?」といわれる事がある
オレの判断でしかない。
同意や共感をしてくれとは思わない。
ただ、そういう人がいるのだ。
