---以下、先週サンパウロ州の奥地にある、とても興味深い農場に旅行で行ってきたので、旅行記を綴ろうと思います。----
お時間あればさらっと読んでみてください。
地球の裏側にも、人知れず日本人が集団生活をしていくことを知ってもらえたらと思います。
先週末、ブラジル・サンパウロからバスで8、9時間ほどに位置する都市にある、「弓場農場」という農場に旅行に行ってきました。 (参考:http://brasil-ya.com/yuba/index.html )
この農場は、75年ほど前にブラジルに移住した日本人(弓場さん)が開拓した土地に造られた集落です。
日本国籍は持たないにもかかわらず、日本人の血を100%受け継いだ人々が、約5~60人程度で集団生活し、未だに日本語で生活をしています。
この農場の面白いと思った点は、以下の通りです。
●共産主義的なシステムとなっており、個人として収入を得ることはなく、農場の利益は全て農場に帰属することとなっている。 収入を得ない代わりに、各自がそれぞれ決まった農作業を行い、それを食べて&残りを販売して、生計を立てていくことになっている。
●ほぼ全て自分たちで生活必需品を作って自給自足の生活をしている。 野菜や畜産、納豆・醤油・梅干しなどの日本食、バイオリン!、家・・・etc
●常にNHK放送が流れていて、たくさんの人がニュースを見て日本の最新情報を得たり連続ドラマを観賞している一方、反対側のテレビでは、若者がブラジルのテレビ番組を見ている。
●サッカーの試合が行われる時には、日本代表を応援する派とブラジル代表を応援する派に分かれる。
●基本的には日本語で会話しているが、頻繁にポルトガル語の単語が使われていたり、弓場独自の言葉が存在している。
●食事の時間は決められており、農場の住人・旅行者が同じ時間に大食堂で一緒に食事をとる。そして、毎回食事の時間には、牛の角を加工した笛が鳴らされる。
●旅行者は宿泊費・食費等を一切支払う必要はなし。
●なかには、旅行で訪れた弓場を気に入り、日本を離れて一生弓場で生活をしていくと決めた人が数人おり、日本に帰国する気もないと言う人もいた(家族はどうしているのかなどは、怖くて聞けませんでした・・・)。
●0歳の子供もいるが、基本的には大人、それも5,60歳以上の中年以上の人が多く、若者の流出・少子高齢化が深刻な模様。
●10歳くらいの少年が最新のiphoneを持っていた。
●「米を作るよりも、子供を多く作れ」と書かれた掛け軸がある、らしい。
●ダンスのバレエの講演が有名で、天皇陛下やブラジルの大統領の面前で公演したり、日本に公演行脚をしたりしている。毎週、週3回の練習が行われている。 ウルルン滞在記の収録も行われ、サトエリもバレエ団の一員として公演に参加している。
●野球のチームがあり、これまた他の日本人たちによって開拓された近所の街と、対抗試合が定期的に行われているそう。
・・・とまぁ、まだまだ多くの書ききれないことも多くありますが、日本から遠く離れた何もない大地で、日本国籍を持たず、日本に行ったことすらない人が多くいるなかで、日本語を話し、日本以上に日本的な生活を営み、日本食を食べ、集団で寝食を共にしている姿を間近で拝見しできたことは、大変興味深い経験でした。
また、このような場所は、弓場以外にもブラジルには存在し、アマゾンの近くにあるトメアスという集落でも似たような生活が営まれているようです。
このような場所は、ブラジル以外にはなかなか存在しないと思います。 (南米のボリビアにも似たような集落があるようです!)
また弓場は、南米のバックパッカ―の間では、そこそこ有名な場所らしく、農場に滞在していたときには、15名ほどの日本人が滞在していました。
中南米を自転車で回っていて、日本を離れて9年近く経つという人もいれば、世界一周旅行の最中で既に2年半ほど旅行しているという人もいて、色々な話が聞けて、彼らとの出会いも大変興味深かったです。
他方で、ある日系人のおじさんが、ぼそっとつぶやいていました。
「若い者はみんな集落から出ていってしまうから、この農場も長くないな。」
若者の大半が農場を出ていってしまうらしく、農場の過疎化は、日本以上に深刻な問題のようです。
今後、農場はどうなるのか?
ブラジルの日本人のアイデンティティはこのまま薄まっていってしまうのか?
今後僕の人生は、30~40年と長いスパンで、ブラジルと深い関係になっていくと思うので、弓場が今後どのように変遷していくか、追っていきたいと思います。
長くなりましたが、この日記を通じて、地球の裏側にわたった日本人たちの現在について、少しでも知ってもらえたらと思います。
そして興味があれば是非旅行に行くことをお勧めします!!