そして何より肝心なのは、見た風景の様子、内容はもちろんのこと、脳内に発生した感覚や情緒をも思えてるってことなのである。
俺なんか、ほら、一年前に見た映画見たとして、始まって一時間してやっと、あ、これ見た、とか気づくぐらいで。
彼なら、次の瞬間に仮面の隅っこに顕れる風の動きだって、当たり前のように覚えてるんである。
そして言う。
ここなんだよなあ、ドライフラワー、揺れるだろ、ここだよなあ。
何のことかポカンとしてると確かに次の瞬間、ドライフラワーは揺れるのである。
象徴的に。
それが俺の耳には、あんたそんなことも覚えてなかったのか、と聞こえるのだ。
バカじゃねえの。こんな肝心で印象的なシーン覚えてなくて、見てないも同然だぜ。
そんな奴が毎日、部屋に帰るといるんだね。泣きたくなるたあこのこった。
そんなやつがギターを必死になって弾いてる。努力。
思っていました。
その感性、根性、記憶力、そしてその図太く一本体を貫いてる骨、俺にもくんねえか、と。
そん時はまだ、自分に脳みそ一個備わってないなんておもってもいなかったからね。
熱望すれば自分にも得られると思ってた。
だから、
今、てめえの頭蓋骨の中がからっぽだと知って、楽よ。
なーんだ、ってね、ないんだ、ってね、じゃあ、しょうがねえじゃん、って、楽よ。
めでたしめでたし……なのか、
くわばらくわばら、なのか。
(つびこんてにゅーど)