小学校高学年だったか、中学校に入ってからだったか、
「自己嫌悪」という言葉があることを知ってから
その言葉はまるで五寸釘で脳髄に打ち込まれた藁人形のごとき、
一時も記憶から離れない呪いの言葉となった。
こう書いていて思う。
十代でこの言葉のいやらしさに責め苦の感覚を抱かない人間は
もしかしたら一人もいないんじゃないだろうか、と。
俺の場合、中々勉強を始められない自分に五寸釘はいつも突き刺さってきた。
高校2年の時、The Doorsの「People Are Strange」という曲と出会った。
People are strange when you're stranger.
お前がよそものの時、人々は奇妙な存在になる。
周りは自分と別の感覚で回っているんだってことを俺は知らされたような気がした。
そんなふうにこの曲の歌詞を理解することにしたのだ。
単なる曲解だったかもしれないけれど、俺はその曲解で救われた。
それ以来、自己嫌悪なんて言葉、忘れてしまった。
ところが!
57歳にもなってこの言葉が帰ってきてしまったのだ。
いやあ、びっくりした。
なんてこたない、稼ぎの悪い自分というのを真正面から見据えたら、
それに対して何の対応策も思いつかない自分に、ありゃあ、と
懐かしい言葉に直接つながるような感覚を覚えたのだ。
けれどやっぱり、十代の頃のような五寸釘的痛痒には
五十代の自己嫌悪はつながってはいかないようだ。
それほど本気で、自己嫌悪できないのである。
なぜだろう。