貧しいという状況は、ハタチの頃は常にそこにあって、
なのに俺はそれにどうしても慣れることができず、
いつも泣きたい気分に包まれていた。
にもかかわらず決して絶望しなかったのは、別に
好きなロックとつねに語り合っていられたからでも、
愛を感じられる存在が初中終電話をかけてきたり、駆けつけてきたりしたからじゃなかった。
とりあえず常に,働く場所が得られていたからだ。
それほど体力も必要とせず、バンドもやめないですむような、
自分に適度に「合っている」仕事が目をさませばそこにあったからだ。
それが手に入れられない二十代の人間が今は巷にごろごろいるらしい。
えり好みをしなければ仕事は求人数より上回っていてあぶれることはない、
とおっしゃる人もいる。
そういう人は自分がやっている仕事を二十代であぶれている人たちに与えて、
自分はなんでも1から始められる人なんだろうと思う。
じゃなけりゃそんなことは言えるわけがない。
個人が貧しいことと、社会が貧しいことはイコールなんだよな、と思う。
やりたい仕事が見つからない、見つかっても紛れ込めない、
だから専門学校や大学に行く。ぶらぶらしている。
親が働いて学費を捻出する。そのためには母親もパートに出る。
家ではぶらぶらしている子供がゲームをしている。
街に出てポケモンGOに熱中する。パチンコに行ったりもする。
働いていて一人暮らしだったのが仕事をなくして再就職できない。
金がなくなる。でも欲しい。当然、欲しい。必要だから。何か食わなくちゃならないから。
絶対、欲しい。でも仕事はない。なら奪う。道端で、人んちに入って、etc.。
貧しさは、政治から、社会情勢から、世界情勢から、
家庭の無人化から、愛の迷子化から、個人の尊厳から、若い精力から、
いろんな方面から、そこらじゅうの人たちを追い込んでいく。
140.000円の給料で、えへらえへら、いつまでもホッとしているのだ、俺は。
↓こんな奴らと,一緒に、えへらえへら、と。