福島県災害対策本部の担当者への取材 | 愛と平和の弾薬庫

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JBPress福島県災害対策本部の担当者への取材


「放射性物質は煙突から管理されながら出てくるから大丈夫、と言い張った原子力保安院」より



●国は10キロを超えて放射性物質が広がることを予測していなかった。

●双葉厚生病院の入院患者と職員約300人がバスに乗ろうとしていた時、1回目の水素爆発が起き、多数が「断熱材のような」降下物を浴びた。

●国には「原発から半径20キロより外側に放射性物質が飛散する」という想定はなかった。

20キロラインから外側には何の備えもなかった。

●チェルノブイリ事故の経験から、原子力発電所で事故が起きれば「円形の避難」は無意味と分かっていたが、何も改善されなかった。

●『地域防災計画』⇒県の計画では『10キロ内』(国→『810キロ』)

●避難所は、地域内で手当てすることになっていた←10キロの円から逃げることを考えていなかった。

 (避難先が半径10キロ圏内でも被曝しない、という想定)

●国を過大評価していた、と考えたらすべてが氷解した――政府にとっては「電源を喪失したが、非常用電源が作動して事故は無事終息した」が最悪のシナリオだった。「放射性物質が外部に放出され周辺住民が被曝する=避けるためには避難しなくてはいけない」ということは「備えをしなくてもよいほど低い確率」と考えていたのだ。

●原子力安全・保安院の年数回の研修でも10キロを超える汚染を考えていなかった。

●国は「チェルノブイリのような莫大な汚染があるわけがない」「10キロ以上の汚染拡大は起こらない」と本気で信じていた。

●国の「おめでたいシナリオ」⇒「10キロゾーン内の住民が、同じ10キロゾーン内の施設に避難する」時のための避難所のリスト璧に記載)

●研修で原子力安全・保安院と接触した席上で、何回も『もっと放射能が出てくるんじゃないか』と指摘。

保安院⇒『絶対ない』『県が考えるシナリオはあり得ない』

『放射性物質は煙突から管理されながら出てくるから大丈夫だ』


2012.04.19JBPress福島県災害対策本部の担当者への取材

「福島県庁にSPEEDIのデータは届いていた!メルトダウンの恐怖の中、後回しになった住民避難」より

●放射性降下物を住民が浴びて被曝する被害は想定していなかったのか。

「『(放射性物質は)出て、すーっと消えた』という想定になっていた」

「事故も数時間で収束することになっていた。雨が降ることも想定していなかった。

つまり地面に落ちない――沈着しないことになっていた」

「国も県庁も原子力発電所事故が(地震、津波)自然災害との複合災害として起きるとは考えていなかった」

●「50キロ圏内の人口を試算してみた。中通り、浜通り合計で100万人だった(福島県全県の人口は約200万人)。東海村の村長は『100万人が避難しなくてはいけないような場所に原発を立地するのが間違っている』と言っていた」

●「原子力安全技術センター(注:SPEEDIを維持管理している組織)が、

315日の2030分以降に災害対策本部原子力班にメールで送ってきてくれていました」

──気づかなかったのか。

飯舘村に被曝が知らされたのは319日深夜~20日未明。全村避難が決まったのは422日)

15日は4号機燃料棒プールのことで手一杯だった。みんなが走りながら仕事をしているような状態で、

パソコンの前に座ってメールを読むような状態ではなかった。原子力班の10人、誰も気づかなかった」