ちっちゃな猛獣 | 愛と平和の弾薬庫

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

 このブログを読んでくれている方々ならおそらく知ってくれていると思うけれど、私は「タロのしっぽ」というサイトを作っている。しかしこれもタロの写真がデジカメ画像でアップされないことからもわかっちゃっていると思うけれど、タロは今もうすでにここにはいない。2003年10月に写真の中だけの存在となってしまった。享年17才。

 「タロのしっぽ」を作ってからも、もうここにいないニャンをメインにすえてサイトを見せていることにいろんな意味で「いいのだろうか」と思うことがあった。でもかの動物写真家、岩合光昭さんも自分ちの、すでに亡くなってしまった「海(かい)ちゃん」を写真集として出版しているぐらいだからまあいいんだろうと自らを納得させることにした。

 タロは当時「The Numbers」というジャムのコピーバンドでギター&ヴォーカルをやっていた七つ年下の目黒くんの家から生後2週間で、東北本線でひと駅、靴の空箱に入れられて妻に連れられてきた。

 俺は、猫ってのはどうなんだろう、と思っている25才の男だった。知り合いの家なんかに行ってその家に猫がいたりなんかすると、なんだかこっちの存在を脅かすような、何か妖力のようなものを秘めているように見えて、ちょっと相容れないものを感じていたのだ。もし動物を飼うんならどっちかっつーと犬だなあ俺は、と思っていた。猫はちょっと……だった。

 しかしある日仕事から帰ってきてそこにいた手のひらにすっぽり入ってしまうちっちゃな黒いシロモノを見たその瞬間、俺は変わってしまった。それは俺の中にあった何かをすーっとすべて吸い取ってしまったのだった。これは!可愛い……。

 しかし……生まれて2週間のニャンはやることなすことが強烈だった。そっちこっち飛び回って、溜まればそこらじゅうにたれるたれる。夫婦は両手に常に生傷をこしらえ、こたつふとんはたちまち臭くなってしまった。

 そんな体長20cm弱の可愛い怪獣に妻は容赦がなかった。叩く叩く。一度などはふすまの敷居の上でいきなりどたまを叩きつけ、タロが妻の右手と木の敷居にサンドイッチされたことなどあって、さすがにそれはないんじゃないかと俺はヒヤヒヤしたけれど、踏切が玄関を出て目の前にある家の若妻はそんなこんなを非情なまでにこなし、一ヶ月もたたないうちに一通りのしつけをタロに叩き込んでいったのだった。まさに、叩き込んで。

 トイレのしつけはしっかり叩き込んだけれど、やはり消えなかったのは生傷だった。このままでかくなったらいったい俺はどうなってしまうんだろう、とまじめに俺はそう思った。熊やライオンになるなんてことはないんだろうな。凶暴な野獣になっちまったら怖いぞ俺は。

 ちっちゃな猛獣に最低限のしつけを施した妻は猛獣が二才にもならないうちに我が家を出た。離婚です。早かった早かった。非はお互いにあった。俺のいまだに直らないビョーキ、幼さがこっちの非。そして妻も、ある部分ではいつつ年上の俺よりもずっと大人だったけれど、やはりずいぶんと幼かった。

 この離婚のせいでタロのちっちゃな頃の写真は一枚も残っていない。2年間に撮られた写真を、ある日俺がアルバムごと近所のゴミ捨て場のポリバケツに放り込んだのだ。

 線路脇の家に残ったひとりとひとニャンの暮らしが始まったが、それは長く続かなかった。小さな一軒家にノミが大量発生し始めたのだった。タロを連れて、俺は引越すことにした。



↓というわけで、これはそのずっとあとの写真。


愛と平和の弾薬庫-taro