その朝、俺と伴侶は午前9時54分の電車で仙台駅に向かった。
休日だというのに、もしくは休日だからなのか、電車はけっこう混雑していて座れなかった。
後ろには、肩から大き目の四角いバックを提げた、運動部系と思しき高校生がふたり。
片方がしゃべり続け、片方が相槌を返し続けていた。
それにしてもよくも次から次へと言葉が出てくるものだ。
こういう友人を俺は持ったことがない。
どうしても、しゃべり続けているほうの高校生を奇異に感じてしまう。
しかし彼が語り続けている話の中味は特段バカ丸出しといった内容の話でもなく、
しゃべり続ける男、というものに奇異さを感じてしまう俺のほうが、世間的には否なおっさんということになるんだろう。
電車を仙台駅で降りると俺たちは駅の正面玄関に向かった。
そこから何らかの乗り物に乗るというのは初体験である。
待つこと7・8分、乗り物は来た。
ホテルの送迎バスである。
ホテルの送迎バスに乗って温泉へ向かう。
こんな俺、あり?
そんな観念が脳裏をよぎる。
うまい昼飯を食い、そして温泉の湯船に浸かる、そのためにホテルへ向かう送迎バスに、俺が乗る。
伴侶の夫としての俺という人間はまったくそれをいとわない。
しかし昭和34年6月19日にこの世に発生し、ハタチから一人暮らしを始め、
金はと言えば、最低限の衣食住を他にすればほとんどをロック関係と、少々を本関係へと注ぎ込み、
それ以外はな~んもいらないもんね、と決め込んでいた俺としてはどうしても、
なにやらふわふわとした落ち着かなさを感じてしまうのである。
こういうのを「ぜーたく」というのだなあ、と思う。
精神的に切実さをともなわない出費。
約一万円。
一日のんびりしてふたりで一万円(!)なのだから、まあお安いと言えばお安い。
お得!なのかもしれない。
が、どうしても残る違和感。
この体にフィットしない感じ。
ほとんどが伴侶の努力で成り立っている暮らしだから、思い出せば一片の嘘偽りなく
「楽しかったなッ!」「うまかったなッ!」「ちもぢえがったなッ!」と笑える。
がしかし、これでまた清志郎の「完全復活祭」のDVDは遠のいてしまったのだと
つい実感してしまう俺。
生きる姿勢が。