6月19日、誕生日に岩手・宮城内陸地震の現場に行く――因果な商売 | 愛と平和の弾薬庫

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心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

 6月14日、午前8時43分、客を降ろしトランクルームの開閉のため車から降りると足元に「ガガガガガッ」と小刻みな縦の振動。どこぞで工事かと周囲を見渡すが、そんな気配なし。そのうち振動が揺れに変わり、やっとこさ地震じゃ!と気づく。あれまあ、あれまあ揺れてるよ。かなりかもよ。と気がつくと目の前は全面カラス張りのビル。おりょりょやばやば。車に飛び込む。


 揺れる揺れる。横に、前後にしっかり揺らしてくれる。勝手に車が動き出したような錯覚にサイドブレーキを引くが、そんなもんとっくにしっかり引いてある。やや安心。

 これは単純に揺れなのだ。車が動いてしまったかのような錯覚を覚えるほどの揺れ、なのだ。ここでやっと、これは実際かなりの地震なのだ、と悟る。


 ここ数年来の忙しい一日。最後の客は、

 「山形まで、いいですか?」。

 真夜中の山形自動車道は怖い。壁の向こうは崖だとわかってるから。でも、

 「どーぞー!ありがとうございますぅ!」


 6月19日、ついに「しじゅうく」などという何やらあんまり嬉しくないような年令に到る。自分は「しじゅうく」になったのだ、などと思うと、はてさてあと何年生きられるのだろうか、なんてつまらないところに思考は転ぶが、らいふごーずおん、仕事じゃ仕事じゃ。今日も、揺れると儲かる、そんなしょーばいに向うのじゃ。と向ったら配車室のチンネンさん(名前を知らないのよね)に一枚の紙切れを渡され、

 「栗原まで、5時間ぐらいの貸切なんだけど」。

 なんとまさか会社から「しじゅうく」のお祝いをもらえるとは!

 そう。タクシー乗務員にとって「貸切」のひとことほど至福の言葉はないわけであって。しかも今や時の人、ならぬ時の街、「栗原市」。5時間で済むはずがないでしょうぞ、チンネン殿。ありがたく紙切れ――予約票を受け取る。


 朝っぱらからの高速走行はきつい。ただでも飛ばすのが苦手な「30にしてやっと免許を取った男」なのである。しかし飛ばす。仕事だから。先に行ってしまった車に追いつきたいのです、と言われてしまったから。タコグラフごまかせるのか知らん。

 ともあれ追いついた。そして山奥へ。待ち構える宮城県警。報道はここまでです。我が背にましますお客様は果たしてしっかり報道関係。追いついた別のタクシーに乗っていたお仲間らしき人とふたりでぼさぼさの時間が始まった。別のタクシーと歩を同じゅうしてやってきた学者さんたちの車のみずんずんと先へ入っていった。

 と逐一書いていくとキリがない。荒砥沢ダムに飛ぶ。学者さんたちがやがて戻ってきて再び動き出したと思ったらそこに連れて行かれたのだ。おお、噂に聞いたる荒砥沢ダム。こんな地震が来るまではそんな名前さえ聞いたこともなかったが、案外でかい。ダム湖はふるおぶうぉーたーで、静か。

 見渡せば、はい崩れちゃったんですの山容がそこかしこ。縦揺れの威力、まざまざ。今度は報道関係も学者のあとをついていった。静か。ひたすら静か。

 地図を見る。直線で6キロのところに、駒の湯温泉の温泉マークの記載。しかし我がしじゅうくの誕生日はひたすら静か。


 最初の警察に止められた地点で、やせて薄汚れてしまった白い犬(かの豆腐屋の彼女をちょっと小さくした感じ)が、ふんふんと寄って来た。かわいかったよ。


 結局、5時間なんてとんでもない。貸切は12時間に及んだのでした。いやしかし新聞記者は大変だ。ならなくてよかった。


 さて、そして今日、あらためて「また一人の遺体が発見されました」等のニュース。一昨日までとまったく違う感覚に襲われる。昨日すぐそばで見た静かな景色の陰でまだ、災害の傷跡は開いているのだという実感。一昨日までの自分がどれほど「他人事」に地震関連のニュースを見ていたかを思い知る。