音楽至上主義宣言Ⅲ――Born in 1959――① | 愛と平和の弾薬庫

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心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

西暦1959年に生まれた男子は小学校時代にビートルズの解散を迎え、

こぞって洋楽を聞くことになる中学生時代は、いわゆる「'70年代ロック」によって音楽的洗礼を受けることになる。


tubasawokudasi しかしまずは洋楽の前にフォークブームというのを

経験することになった。

その手始め、中学1年生のガキが大喜びしたのは――

 泉谷しげる「黒いカバン」 だった。


その内、耳に入ってきたのは――

 よしだたくろう 「旅の宿」

 古井戸 「さなえちゃん」

 RCサクセション 「僕の好きな先生」

 井上陽水 「傘がない」『氷の世界』

 赤い鳥 「翼をください」

 猫 「地下鉄に乗って」


結局いちばんわかりやすいのは泉谷しげるだった。「春夏秋冬」「眠れない夜」


kataomoi 「1」に書いた通り、最初に買った洋楽のシングルレコードは

パートリッジファミリー(featuring David Cassidy)「涙の片想い」

最初のLPはビートルズ「Yellow Submarine」だった。


パートリッジファミリーはテレビで「パートリッジファミリーショウ」とかいう番組をやっていた。

テレビから音楽を取り入れたのは、我々世代ではモンキーズとこのパートリッジファミリーぐらいなんじゃないだろうか。

ほとんどはもちろんラジオからだった。

テレビでは歌謡曲歌手しか見られなかったから。


mindgames ラジオから聞こえてくるものなら何でも聞いていた。

中学生時代は特に。


 エルトン・ジョン 「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」

 ジョン・レノン 「マインド・ゲームス」

 カーペンターズ 「トップ・オブ・ザ・ワールド」

 ベンチャーズ 「十番街の殺人」

 ミッシェル・ポルナレフ 「愛の休日」


すべてが同一線上のアリアで、楽しかったり、深く心に浸透して来さえすればまったくの差別なく聞けた。

が、そのうち、いろんな「ジャンル」があるのだと知らされた。


allbecaouseofyou 「東芝ヒットパレード」のDJ、黒澤久雄(黒澤明監督の息子)はそんな、

「ジャンル」などというものがあるなんて一言も言わなかった。

ただ

 T・レックス 「イージー・アクション」がいて、

 ポ-ル・マッカートニー&ウイングス 「マイ・ラヴ」がいて、

 ジョーディー 「君にすべてを」がいて、

 スージー・クアトロ 「キャン・ザ・キャン」がいて、

 ヘレン・レディー 「デルタの夜明け」がいて、

 ジョージ・ハリスン「ギヴ・ミー・ラヴ」が今週の一位ですぐらいのことしか言わなかった。



そしてそれでぜんぜんかまわなかった。

かまわなかったのだ。


(ⅠとⅡはMy Homepage「タロのしっぽ」内の「When The Music's Over 」にあります)


「黒いカバン」 (←クリックで聞けますぜ…Youtubeなのに、なぜか「聞けます」なのだ)