ストーンズをマーティン・スコセッシが撮ったそうだ。
「シャイン・ア・ライト」――2006年のライヴを撮ったものらしい。
スコセッシいわく、「ローリング・ストーンズは私の人生の一部」。
俺もたしかにストーンズは中学生の頃からずっと聞いてきた。
中学の時の同級生が大学の時、「ラブ・ユー・ライヴ」のストーンズを基本にしたストーンズのコピーバンドを組んでほぼ毎月ギグを行い、その頃、俺のストーンズ好きは決定的になった。「ラヴ・ユー・ライヴ」の頃だ。
けれどその後、「エモーショナル・レスキュー」、「ダーティー・ワーク」の頃、ストーンズは俺から離れていった。
何かピンと来なかった。自分が不協和音バンドに没頭していた時期だったというせいでもある。
「ダーティー・ワーク」のあと、ミックがソロに没頭し始め、一人で来日もし、キースもソロでツアーを行ったりしてストーンズは本格的に俺達から離れていった。
「スティール・ホィールス」でついにバンドとして復活した時、機は十分に熟していた。
待ちわびていた俺たちはみな、その後の東京ドームに結集した。
みんなが「ストーンズ大好き」「ストーンズが嫌いなわけがない」になった。
「ヴードゥー・ラウンジ」、「ブリッジス・トゥ・バビロン」、「ザ・ビガー・バン」が数年おきに、70年代の精力的さにはまったく及ばないものの、いわば「新しいコンスタントさ」で発表され続け、そのたびに俺たちは自分の中の「ストーンズ大好き」「ストーンズが嫌いなわけがない」を確認するかのようにCDショップに駆け入り、金が充分にポケットにある者はドームコンサートに駆けつけた。
自らもバンドを組んだり、ギターを弾いたりしている人たちは彼らの音楽的進歩に充分理解を示す。
「Steel Wheels」で使われているコード進行は新しいストーンズだと言い切り、充分に認められるべきだと言う。
バンドから離れてしまった俺のような人間は「Steel Wheels」より「Voodoo Lounge」、「Bridges To Babylon」より「The Bigger Bang」に進化を見たりしつつストーンズにしがみつく。
「Steel Wheels」の凄さに気づける人たちに一種の劣等感を抱きつつも、自分たちもまた「ストーンズ大好き」「ストーンズが嫌いなわけがない」族の一員であることで、なぜか安心できるのだ。
ここに決定的な違いが生じる。
「ローリング・ストーンズは人生の一部」と言い切れる人と、ちょっとそこまでは言い切れないなあ、という人。
ビートルズならそこに、それほどの違いは現れないんじゃないかと思う。
やっぱり、転がり続けなくちゃいけないんだな。
Live With Me.