今にして思えばやっぱりあの頃は楽しかった、とカツシカゴンゾーは思い出す。
あの人の球を受けるのはちょっと悲しいものがあったけれど、やっぱり楽しかった。
30年前、あの人とタクシーで空港へ向かっていた。
あの人がシーズンももう終わりという九月の半ば、やっと一軍に合流することになり、
次の遠征地へ、他のチームメイトよりも一足先に乗り込むことになったのだ。
車中であの人はあの人らしくなかった。
トレードで三年前にやってきた街の、三年間のあいだにできた新しい道のこと、
それで、たった三年のあいだにすっかり風景が変わってしまった街のこと、
三年もいるのに初めて見る近県の車のナンバーのこと、
そんなことをしきりに、訊くでもなし、じっくり話し込むでもなし、
つらつらと運転手に話しかけたりしたのだ。
今度の一軍合流が、最後のチャンスになると、あの人はわかっていた。
いつもブルペンであの人の球を受けていたのは確かに俺だった。
でも一人でではなく、俺を随行させて飛行機で先乗りなんてのはどう考えたって不自然だったのだ。
一軍の捕手でもない俺と二人分のチケットを球団が用意するなんて。
そんな状況の不自然さが、あの人をかすかに饒舌にさせていた。
運転手はそっけない男だったことを覚えている。
あの人を乗せても、それがプロ野球選手だなんてまったく気づいていないようだった。
ラジオではまさに俺たちの球団の試合を流していたのに。
それとも先発が完封直前で突如乱れだしたのが気になって仕方なかったのか。
しかしそんなこと――自分たちのチームの勝ち負け――は俺とあの人にはまったくどうでもいいことだった。
ことに、あの人にとっては。
この人は一ヶ月後、どんなことになっているんだろう。
そんなことを考える自分が俺はうとましかった。
つとめてさりげなく、道のこと、街の変わり様、県外ナンバーの管轄、そんな話に耳を傾け、
ええ、とか、そうなんですか、とか合いの手を入れた。
そう言えば、この人はヒーローインタビューなんてしたことねえもんなあ、と思い当たった。
だからだ。
だから、この今まさに終わろうとしている試合の結果に気を取られている運転手はこの人に気づかないんだ。
こんなに話しているのに、まったく気づかないんだ。
俺の洞察は空港に着いたあと、正しかったとわかった。
トランクを閉めるために降りてきた運転手の顔が、なかば背を向けたあの人の顔に釘づけになったのだ。
なぜか、俺はにたっと笑ってしまった。