キッチンの入り口あたりにもたれかかり、テレビ画面の中のブルース・スプリングスティーンを見ながら納豆を食った。もちろん白メシと一緒に。乗せて、ではなく、一緒になどと書かなくちゃならないのにはわけがあって、ご飯の下に納豆を隠し置いたのをひっくり返し掘り返し食ったのだ。そばを立って食ったことはあるが、納豆を立って食ったのははじめてだ。悪くない。
しかしなぜ、出番の日の朝には必ず食っている納豆なんてもんを明け番の日にまで食っちまうのか。食わねばならんのか。理由は簡単だ。冷蔵庫を開けてそこに納豆があるとね、ああ、脳みそがその存在の中に吸い込まれていくのだよ。もうこうなると食わずにはいられない。全部吸い込まれてしまう前に。
そう。俺はデンゼルワシントンの「ザ・ハリケーン」は以前にも見たことがあるのだ。しかし「いや!見たいみたいとは思ってて、やっと見たんだ!」などと妻に放言してしまった。あのスキンヘッドの裁判官(’02年没、合掌)が出てきた時にさえ、ああ、何か他の映画でもこんなふうな素晴らしい裁判官をやっててっけな、などとしみじみ微笑んで見ていたのだ。
他の映画じゃない!この映画なのだ!妻はきっとその言葉は飲み込んだのだ。
ああ、俺の脳みそは納豆に吸われていたのだ。毎朝毎朝俺に食われているような顔をしながら実はチューチューチューチュー俺のほうが吸われていたのだ。
ああ、くだらない。こんなことを書くつもりはなかった。
なぜ、きのうも食った納豆を俺は食いたくなるのか。これほどまでに食いたくなるのか。しかしそれにしてもうまかった。テーブルの前に座らずに立ったまま、すなわちスタンディングオベーション納豆。ブルース・スプリングスティーンを見ながらロックンロール納豆。視線の高さは外の、向かい側の駐車場の屋上だ。ああ、うまかった。
よし、二膳目はお茶漬けだ!誰が何と言おうと二膳目を食うし、お茶漬けを食うのだ。誰も何にも言わんだろうが。