トモイチと出会って間もない頃に言われた言葉がある。言った本人が忘れても、忘れたフリをしてスッとぼけてもかまわない。かえって忘れていてくれたほうがいいかもしれない。事実的にも記憶的にも、もうとっくにどうでもいい事実であり、記憶なのだ。
肝心なのは、俺にとっては一生忘れられない言葉であり、忘れちゃならない言葉であり、ということだけなのだ。言われた、それだけでいい、そこにたしかに存在した、と俺だけが覚えていればいい言葉。
部屋にはまだ別れる前の最初の妻がいた。ギターを抱えたトモイチ。そしてぼんやりした俺。話の脈絡がどこかでどうにかなって、トモイチは言った。
「おれ、史塚さん、好きだよ」
幼い言葉だ。まるで幼稚園児だ。その時はそう思った。俺はひとりで頬をほてらせた。部屋には奇妙な沈黙が流れた。言った当人だけはあっけらかんとしてギターを抱いていた。
たびたび繰り返した俺の裏切りでトモイチが離れていってしまい、すでに友達でも何でもなくなっていたら、それは単なる「幼稚園児のような言葉」になってしまっていた。しかしそれから二十年、さんざんイヤな思いをさせられておきながら、いまだにやつは友達だ。俺は学ばないわけにはいかない。やつが、トモイチという存在が――無意識に、時には意識的に――俺に学ばせようとしているままに。
父親の唯一の思い出は「蹴飛ばされたこと」。父親の分までと気張った母親に教えられたのは「有利に生きていくにはどうしたらいいか」。そんな殺風景な背景しか持たなかった俺はきっと、誰かに言われなくてはならなかったのだ。いや、俺だけじゃない。誰もが誰かに言われなくてはならない言葉なのだ。
好きだよ。
俺に関しては、それを言ってくれたのはトモイチだった。
とても俺には言えない言葉だ。今の俺には、誰にも。世の中は、これを言うべき人間と言われるべき人間と、そのふた通りに分れているのかもしれない。