人とのつきあいなんてものはわからないもので、などとはよく言うけれど俺のそれは人間性をてきめんに反映して実にまったく予測がつかない。この人とは一生モンになりそうだ!などと勢い込んだつきあいほどあっけなく消滅してしまう。はじめの思い込みが強ければ強いほど最後の衝突は激しい。
まったく逆なのがトモイチとのつきあいだった。
ブラウン・フェイスというバンドの素晴らしさ。そのバンドのボーカルとしてどこか純粋な光さえ感じさせる存在感。そんな一種まぶしささえ感じさせる男はしかも5才も年下で、長いつきあいになりそうだなどという感慨とはほど遠いところにあったのだ。
このつきあいははじめ、決して太くはなかった。が、細くもならずになんとはなしに続いていた。そして知り合って二年ほど経った頃、あっちがこっちのアパートに転がり込んでくるという事態に至ったのだった。
やつは大学生活を一年延長させていた。同時にアルバイトも仙台でやっていた。福島と仙台の中間地点にある自宅から通っている限り勉強もアルバイトもおぼつかないと判断したのかもしれなかった。
五才年上の社会人の独身男の部屋に居候する。男同士で共同生活をする。それ自体はたいしたことではない。それぞれが勝手に動いていればそれですむことだった。しかし俺にとってそれは、あらかじめよそくされたことだったが、やはり「たいしたことじゃない」ですませられるものにはならなかった。
俺の生活には、10才からトモイチが転がり込んでくる日まで男というものが存在しなかった。十才以前にしたって、父親は週に一度訪れるだけだった。母親と妹、そして一年ほど前に決別した最初の妻、女性としか暮らしを共にしたことがなかったのだ。俺は男が苦手だった。自分も男であるくせに、変な言い方になるが、男というものを知らなかったのだ。
どんなふうに接したらいいのか、わからなかった。いくらお互いの興味が音楽に集中しているからと言ってアパートで毎日ギターを鳴らし続けるわけにもいかない。音楽に対する集中も続かない。トモイチは集中し続けられたのかもしれないが、俺はのんびりしていたいだけの時もあった。お互いのんびりしていればいいんだが、そこにある男の空気が俺を苛立たせた。
トモイチは日がたつにつれて苦手だった猫――ターニャにも慣れていったが、俺はトモイチの発散する空気にまったく慣れることができなかった。居候させて三ヶ月ほど過ぎた頃、
「そろそろ出て行ってくれないか」
と俺は言った。
「ああ……、わかった」
とトモイチは二つ返事で答えた。
今では、俺は「トモイチの空気」ではなくただ単に「男の空気」に苛立っていたのだと言うことができるが、その時は、自分はトモイチを受け入れられないんだ、と思いこんだ。ひとつの亀裂なんだ、と思いこんだ。友達として失格だ、と自分を責めた。俺の求める空気を察してくれないトモイチを責めた。
しかしそのあともトモイチは自分の活動範囲の中から俺を閉め出さなかった。俺が歌い、やつがバックでギターを決めまくるという形のバンドも存続し続けた。
まったくギターを持たなくなってしまった俺を察知するとやつはそんな俺を歌の中で責めた。何より俺を責めたのはそのことだった。しかしほかのことでは決してやつは俺を責めなかった。一人の人間として、自分の中に俺を住まわせ続けた。
男同士の友達なんてそんなもんだろう、と当たり前のように言う人がいるかもしれない。しかし俺には奇跡のようにしか思えない。まるで何かを俺に教えようとしているかのようだ。そんなふうに感じる。まるで、父親が息子に大事なことを教えるように。