大学の軽音楽サークルの仲間たちとブラウン・フェイスというバンドをやっていたトモイチは当時大学二年で俺は25才だった。25才で最初の結婚一年目だった。
コンサートの打ち合わせで会ったり、連絡の電話でのやりとりをしたりはほとんどギターの甲斐くんとのあいだで行われていた。甲斐くんはアパートも近かったので一緒に飲んだりすることもあった。そんなこんなでブラウン・フェイスのメンバーでまず打ち解けたのは甲斐くんのほうだったけれど、トモイチもそのうち、当時仙台駅から歩いて十分程度という所に居をかまえていた我が家へ遊びに来るようになった。
俺は歩いて5分の印刷所で写植を打って働いていた。写植はとにかく残業の多い仕事で、俺がいない家にトモイチがあがりこんで当時の妻にギターを弾いて聞かせているなんて状況も多々あった。
はじめのうちはそれほど気にかけてもいなかったが、たびたび同じことが続くのでそのうち俺は本性を現してしまった。
「俺が帰ってない時は上がらないでくれないかな」
面と向かってそう言ったのだ。
驚いた様子も見せずにトモイチは、
「ああ、わかった」
と言った。
俺とトモイチの「育ちの違い」を明らかにした、まずひとつめのできごとだった。
俺がトモイチにした「ひどいこと」のひとつめ、でもあった。
それから一年後、最初の結婚生活を終わらせた。終わるべくして終わった暮らしだった。あっという間に退場していく最初の妻のことについてはまずは何も書くこともないので、これでまずはおさらば。
後に残った一匹の黒猫、ターニャについては少し書かねばならないかもしれない。