五月初めのこの街の川べりには菜の花が咲き誇っている。そこいらじゅう一面というほどではないが、視界のほとんどが黄色に染まったように、歩いていると感じる。悪い気分ではない。
青空の下、アスファルトの遊歩道には干からびたミミズや草むらから出てきたはよいがどっちに行こうかと迷ったままの太った毛虫たちがちらほらと視界に紛れ込んでくる。あまりいい気分ではないが、歩きなれた道である、そんな光景にも慣れてしまった。土いじりが好きなくせに虫の苦手な妻だったらきっと耐え切れないんだろうが。
妻は一度だけこの川べり歩きに付き合ってくれたことがあった。しかしもともとが体を動かすのを億劫がる妻である、4キロほどのぶらぶら歩きに二度と付き合うことはなかった。冬の終わりごろなどに一緒に歩けば枯草の影から姿を現すふきのとうやらタラの芽やら、彼女も好きな山菜をいくらも摘めるだろうに。俺など目の前にそれを突き出されてもそれがふきのとうなのかそこらへんのただの草なのかさっぱりわからない。
ふがふがスズキによって粉砕された心をふたたびひとつにまとめ、目の前の黄色い景色にこうして遊ばせているのは紛れもなくトモイチの声だった。こいつと出会ったのはもう20年前だ。コンサートの控え室をうろうろしていた俺をつかまえ、椅子に腰掛けたままこう言った。
「これ書いたの史塚さんすか?」
初対面である。どうもはじめましても何もなくいきなりこうきたのだ。しかしなぜか不快ではなかった。
眼下から白目と黒目がはっきりした大きな目で見られ、こいつがヴォーカルかと思いつつ答えた。
「うん」
「ストーンズはやっぱりベガーズバンケットだよね」
自ら主催したアマチュア・コンサート用のビラに俺がローリング・ストーンズで一番素晴らしいのは「レット・イット・ブリード」だと書いていた。それを読んだギョロ目野郎が初対面の開口一番、真っ向から否定してくれたのだった。