〈創作〉おいおいおい――② | 愛と平和の弾薬庫

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

 ぼんやりした光景がよみがえっていた。

 数十メートルはなれたところに大きな家がある。俺と母親と妹は車の中にいてその家を眺めている。家の前には白と黒の花輪が並んでいる。

 その家の中にはおばあちゃんがいるんだなあ、と俺は考えていた。父親の棺がある場所なのだが、なぜか俺の頭にはおばあちゃんのことしか思い浮かばなかった。そこは俺にとっては、はじめて見る「おばあちゃんの家」でしかなかった。

 おふくろが言った。

 「もういいです」

 一緒に車に乗っていた誰かが言った。

 「本当にいいの?」

 それが誰だったのかはまったく覚えていない。たぶん車を運転していた誰かだろう。

 そこが俺の父親の本宅だった。

 小学生の俺は知らなかった。なぜ父親の苗字が山本で母親(そして俺と妹)が史塚なのか。一週間に一度、金曜か土曜の夜にしか帰ってこないのは社長という仕事が忙しくてだと思っていた。父親の死後も何の疑問も持たなかった。そんな問題意識の薄さはいまだもってまったく変わっていない。自分がなんとか生きていられればそれでなにもかもがOK。

 「一体なに言ってるんですか?」

 頭の中の大きな家を眺めながら俺はふがふがジジイに言った。脳みそが熱くなりはじめていた。感情をコントロールできない状態に入りつつある。生まれてはじめての混乱が俺の中に充満していた。

 「おかあさんに訊いてもらえばわかるんだけどね」

 電話の向こうのふがふがジジイが「79才でまだ生きている父親」だということが飲み込めはじめていた。

 「母は訊いても言わないと思いますよ」

 このふがふが野郎が本当に俺の実の父親だったとしたら、そのことをずっと黙ってきた母親が今さらこのふがふがの「真実」を口にするとは思えなかった。

 おふくろは看護婦だった。おやじとは病院で知り合ったと聞いている。それがどうやら嘘らしいと気づいたのはハタチを過ぎてからだった。おふくろは看護婦なんかじゃなかったのだ。建設会社の社長とハタチ過ぎたばかりの女が出会う病院以外の場所といったら限られてくる。その場所をおふくろは隠し通している。おふくろはそういう女なのだ。

 「だったらその父親ってのはどこの誰なんです?」

 ばかばかしいとは思いながらも俺はふがふがに訊いた。思った通りの答えが返ってきた。

 「それは、実は僕なんだけどね」

 なにが「ボク」だ。なにが、なんだけど「ね」だ。いけしゃーしゃーったらありゃしねえ。

 と、こんなふうに俺が反応することをこのふがふがは予測できなかったんだろうか。え!?それはもしかしたらあなたですか!?すごい!これは素晴らしいことだ!実のおとーさんが生きてるなんて!会いたい!おとーさん!会いたい!会いたかったです!などと俺が涙にむせぶとでも思ったんだろうか。そんな場面を期待して白状の電話をかけてきたんだろうか。そして感動の再会の実現!などとひとり盛り上がりつつ日々この日の実現を待ち焦がれていたんだろうか。

 「ふざけてる……」

 俺はなかば笑いながらそう言った。しかしふがふがはまだ盛り上がりたいみたいだった。これからが肝心のところなんだ、とばかりに語りはじめた。

 「生まれたばかりのあんたを車に乗せて仕事してたんだよ。イタチ製作所の事務員なんかにもかわいいかわいい言われてずいぶんかわいがられてたんだよ、あんたは」

 なんで急に「あんた」にされてしまったのか、沸騰しかけている頭の中で何かがバチバチはじけた。沸騰した油に不用意に水が落ちたのだ。

 「事情が事情であんたのお母さんとは別れなくちゃならなかったんだけどさ」

 だけど……さ。この「さ」がまたはじけた。つまらないことを言った。

 「なんで今さらそんなこと言うんですか」

 返答もつまらなかった。

 「別に今さらじゃないんだけどね」

 何より俺を熱くさせていたのは言うまでもないが、これまで父親だと信じて生きてきた人物が実は他人だったというふがふがの言い分だった。今の今までおやじだと信じていたあの人が、あの何回も参った墓の下で眠るあの人物が実は父親でもなんでもないんだよというこいつの言い分だった。またつまらないことを言った。

 「ジョーダンじゃねえよ」

 頭に血を上らせて型どおりのつまらないセリフを吐く。懐かしい男の再来だ。何も変わっちゃいない。がしかしそんなことを思ったのは電話を切ってずっとあとのことだ。

 「いつか会える時が来ると思っているから、その時はいろいろ話そう」

 「そんな日は来ないと思いますけどね」

 そんなやりとりで電話は終わった。

 直後、混乱した頭の中を占めたのはおふくろが襖の向こうで泣いていた時の記憶だった。おやじが死んで数週間たったころだ。夜の仕事をはじめたおふくろが、真夜中、帰ってきてから泣いていたのだ。それを偶然耳にした。

 「パパ……、パパ……!」

 パパってのはもちろん俺の、そして妹のパパだ。声を聞いただけだったが、しかしこの時のことを思い出すたびにいつも、見えていなかったはずのおふくろの泣いている姿もそこにあるのはなぜだろう。

 とにかく、ふがふがジジイの出る幕など、どこにもない。どこにもないのだ。(つづく、かなあ)