遠野先生のことを表して「なんかインビだよな」とニタニタしながら俺に言ったのはSだった。
教師を指してそんな言葉を使う彼は俺からしたら相当〈オトナ〉だった。俺としてはわかったような、わかってないような中途半端なニヤニヤ笑いを返すのみだった。が、今思い返してみると……
一人悦に言ったような冗談とニタニタ笑い。
黒板消しの白い靄。
ニキビ面のガキの理解をよそにサバサバと展開していく授業。
Sの言葉通り、遠野先生はたしかに、かなりインビな雰囲気をたたえた御仁だった。
Sのそんな言葉が、あいだに「業」という言葉をはさみ、遠野先生が晩年なさっていたという「五重相伝」(仏業)に、なんとはなしまっすぐつながる。
で、ふと思う。
遠野先生って、かなりスケベな人だったのかもなあ……。
そんで自分でも苦しかったのかもなあ。
誤解を承知で思ったままの言葉を使わしてもらう。でもこれは俺からすればひとつの〈讃辞〉なので、バスケットボール部の皆さん他、遠野先生に縁が深かった人達、怒らないでいただきたい。
「スケベ」というのは「人生に対する欲が深い」という意味で使ってるんであって、金やら何やら俗っぽいことに目がないとかいう意味で使ってるわけじゃないんだから。
(もちろん金やら何やらも大事なことなんだが)
人生に対して欲が深い……人間として極めたい地点になかなか手が届かない。
それがあのニタニタ笑いだったり、中学生には時折理解不能な冗談だったり、バスケ部の連中をどやしつけるあの大声だったんじゃないかと思われてならない。
「おめえになんか何がわかる」
そう言って皮肉な笑みを浮かべる氏の姿が目に浮かぶ。
が、一人で勝手にこんなふうに考えていくと、あの頃よりずっと先生が近しく感じられてくるのだ。
Sのようなちょっとマセタ感性があの頃の俺にも備わっていたならば……
洞察力の欠如が今さらながら悔やまれますが、当時の自分にそんなものを期待するほうが間違ってるのはよおくわかっている。しかし俺に比べたらSは、なんて豊かな中学生時代を送っていたんだろう、そう思われて、悔しい。
ご冥福を……。