多賀城の孤独 | 愛と平和の弾薬庫

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

 伴侶が職場の飲み会なのである。ということはどういうことなのかというと、夕飯を準備しなくてもいいということなのだ。つまり一日すっかりほぼ「自由」。ウォーキングをサボって車を出した。前々から一度は行っておかなければ、と思っていた場所へ。

 車を出してほぼ十五分、目的地の前に関連地域へ立ち寄る。ここは二度目である。こんな所に本当にそんな史跡があるんかいなと思うような細い坂道を登っていくと看板が目に付く、「政庁」、「駐車場」。金曜日の午後一時、入れ替わりに出て行った車が一台、残るは一台、我が車が止まり計二台。降りて雪が消えたばかりでぬかるんでいる、短い雑草が生えたゆるやかな丘を上っていくと横ほぼ20m、縦7・8mの石の台。正殿跡である。仙台方面へ視界が開けている。我が家であるところのマンションも見える。なるほどね、と思う。支配者の場所だ。

 駐車場は多賀城政庁の裏手にあった。裏から入って表に降りていく形。たぶん一昨日までの春のような陽気で雪が消えたばかりなのだろう、足元がやわらかく心地よい。と思っていたらチラチラ白いもの。きのうからまた寒いのだ。

 カメラをカシャカシャやりながらブラブラすること約十分、まあこんなところか、と多賀城跡をあとにし、正式目的地へ。

 すぐそこなのにちょっと迷ったのは両側を小川が流れる裏道を選んでしまったから。五分ほどで、そこへたどり着く。広い駐車場にまずは驚く。車から降り、「←歴史博物館」の指示通りにひらりと塀をまわってまた、スロープの広さにびっくり。池まであるぜ。ほら↓。


                touhokuhistorymuseum


 旧石器時代から縄文時代、古墳時代と興味のない展示が続くが、竪穴式住居の中のマネキンだか蝋人形だかにはほんのちょっと見入った。今にもこっちを振り返りそうな男の背中と、こっちの気配に今にも気づいて驚きのまなざしでも投げかけてきそうな女。バックにはなぜか犬の遠吠えの効果音。

 はいはいはいはいと土臭い世界をやり過ごすと、さて古代、蝦夷(えみし)の世界です。今見てきたばかりの多賀城跡がほんの一角に過ぎないことを教えてくれる。そしてなるほどと思う。このあたりはいつ来てもそこらじゅうを掘っくり返しているが、そこらへんすべてが遺跡なのだ、まだまだどんどん多賀城跡は広がっているのだ。21世紀に広がり行く8世紀なのである。

 いろいろ全部こんな所に書いてもしょうがないので以下省略なのであるが、う~ん、こういう所の面白さはやっぱり解説ビデオとジオラマである。今にも振り返りそうな縄文人から昭和30年代あたりを復元したと思われる一銭店屋まで存分に見させてもらいました。そうそう、それから戦時中の新聞というのもとても怖いものがあった。まるで巨人だけが野球のすべてなのだと言わんばかりのスポーツ報知、そんな感じで戦争は肯定されていたのだ。

 ……と、有料で見る部分を行ったり来たりしながら見ていたら、何やら我が近辺を係りのお姉さんや警備員さんがそわそわと行ったり来たりする気配。まあそんなもんなんだろう、暇そうだし、と思ってたのだが、若い男性職員がすすすーっと寄って来て俺に言った。

 「あの、何をくわえてるんでしょうか」

 なななんと、である。俺はしっかり不審人物となっていたらしいのだ。口にくわえていた「禁煙パイポ」のせいで。みなさん、暇そうな博物館に入ったらパイポはしまいましょう。

 と、こんな我が多賀城一人旅、などと言うと「なにを、近所の博物館に行って来ただけやんけ」と言われそうですが、博物館を出た時にはしっかり雪景色になっておってですね、なんかやけにさびし~気配が俺を包んだのですよ。それで「多賀城一人旅」。ああ、俺って簡単に孤独になれちゃうんだな、と、そんな感慨を抱かされた多賀城でありました。