左折優先における人体道義的正義 | 愛と平和の弾薬庫

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心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

今まさに君は、目の前まで迫り来た交差点を左へ折れようとしている。ここで私は問う。なぜ右折より左折が優先なのか、なぜそう交通法規に定められているのか、君はご承知あろうか、と。


もしかしたら君はこう答えるかもしれない。右折より左折のほうがスッと曲がれるしぃ、あ! そうしたらあんまり渋滞しないじゃん!だからじゃん?……と。


まあたしかにそれはそうだ。左折車がいつまでもつっかかっていては、その後ろで直進しようとしている車がいつになっても進めず、交通渋滞は重症となり、連綿と続いている後続車たる立場にある運転手たちの心理状態を悪化せしめ、社会的にきわめて好ましからぬ状態が発生する。
そのような悪環境を発生させぬためにも左折車をすんなり通してしまうことは、きわめて適切な判断、処理ではあろう。


だが……違う!違うのだ!そんな、路上にあるあなた達が勝手に引き起こす「早くしろよう」的なその場限りの浅はかな心理状態などどうでもいいのだ!交通法規は「路上の安全」とやらを確保するために定められているんであって、路上にあるあなた達の精神的健康不健康にまでかまっちゃいられないんだ!

ではなぜ、なぜ左折車は右折車より優遇されるのか。

お答えしよう。

それはズバリ、人間という生き物の人体的構造を踏まえた上に「左折優先!」と定められておるんです!
つまり、人間という生物が道を作り、やがて車を発明するにいたり、その時には自然発生的に「左折車優先」だったということなのです!
だってそうでしょう!? 人間がこんな顔をしている限り、T字路であろうと、5本、6本といくつもの道が交差している複雑な交差点であろうと、必ずや「左折優先」でなければならねえんだよ!

だから、あんにゃろう!俺はおめえなんか目に入っちゃいねえんだからな!突っ込んでくんならきやがれ!
そんな気持ちで左折して、ぜんぜんそれでいいんです。
だからほら、安心して左折なさい。ぜんぜん大丈夫です。ぜーんぜん。

(↑車が左側通行の国に限る!)