わたしの真実―① | 愛と平和の弾薬庫

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

 人は通るんだけどね、それをフェンダーミラーでじとーッと見つめとるんだけどね、乗らんのだよ、一人も。
 一応仕事なんだけどね、こんなところに車停めてじとーッとしてるけど、ひとりでも乗ってくれんことには金にはならんのだわな。
 思えば金にならんことにばかり精を尽くしてきた44年だわな。

 ほれ、札幌オリンピックで笠谷だの日の丸飛行隊だの騒いどった時な、小学五年だった。
 ペプシの王冠の裏めくると競技ごとのマークなんぞ書いとって、それ集めたりの、ちっちゃい時遊んだプラレール引っ張り出して、そいつ斜めに置いてその先っちょグッと持ち上げてジャンプ台にしてミニカー走らして飛ばして、何センチ飛んだか記録とっての、遊んどった、一人で。
 中学生んなったら麻丘めぐみちゃんや深夜ラジオに夢中になっての、それが青春だと信じとったんだ。
 麻丘めぐみがビートルズやイーグルスになったりしたけどな、ラジオ熱は高校出るまでついに引きずったった。
 公開放送とかあしげく通っての、リクエストハガキ書くのにも熱が入っての、レタリングやちょっとしたイラストじょーずになったわ。
 やがて一応働くようになったけどな、写植屋になったのはリクエストハガキの延長なんだわ。
 レーアウトとかきれーな文字とか好きでな、そんでもちろん人間関係とかいろいろあったからっつーこともあるけど独立までしてな。
 すきやったわあ、写植。
 でも2年ちょっとでぽしゃった、自分の会社。写植もろともでんがな。業種的リストラです。みんなマックになっちまったんですな。
 で、ついにタクシーでんがな。精出す仕事なんかじゃありゃしません。運と偶然で成り立っとるしょーばいだす。
 ウチで小説書き出しました。なんとか賞かんとか賞にもずいぶん応募しました。小説家になりたくてな。
 もちろんあきまへん。40から書き始めてもうすぐ五年、一本も引っかかりまへん。そのあいだにタクシーの給料、半減でんがな。ふきょうでな。オクさん稼いでくれるから生きとられますねん。
 ホームページ作りは、とにかくみんなにてめえの文章見てほしくてな、そんでああでもない、こーでもない言って欲しくてな、始めました。