奥州の歴史 平泉ならびに岩手県に関する歴史の本を図書館からすでに6冊借りてきて読んでみて知ったのは、そんな昔のこと確定できね~んだよ、という事実。誰も何も「言い切れてない」。つまり義経はやはり宋へ渡ってジンギスカンになったかも知れず、泰衡はやはり真の平和主義者だったかも知れず、という「真実」。ということはすべて自分の信じたいように信じるしかない。アテルイもモレも、経清も貞任も、清衡も泰衡も、田村麻呂も源義家も義経も、我が心の決めたいままに、ということ。そして我が信ずる著作は「火怨」と「炎立つ」なのである。