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都内エンタメ企業で働く中間管理職WM
深雪(みゆき)です。
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問わず語りの昔話。
友人の話や巷間の話から推測すると、今時の中学受験塾は、私達の頃とはだいぶ違うようだと感じています。
いや。
もしかしたら、「私達の頃」と言うか「私の体験した」が正しいかもしれませんが。
当時としても、私の体験した中学受験塾のあり方は、ちょっと特殊だったかもしれないので。
1990年前後の話です。
私が通っていた某中学受験塾は首都圏にいくつか校舎があり、生徒数は一学年300名位?だったのではないかと記憶しています。
私はそこに新小4(小3の2月)から通っていたのですが、小6の一年間は、外向けのパンフレットには載っていない、一番上の特殊なクラスに所属していました。
御三家級の学校に進学できそうな生徒だけを集めたクラスです。
私の校舎でそのクラスにいるのは、8名だけでした。(男子6名、女子2名)
また、日曜日には本部校舎にて、全校舎の中から選抜したメンバーによる特別特訓講座があったのですが、その講座でも私は一番上のクラスでした。女子でたった一人だけ。
(今日の本筋とは関係ないので深くは書きませんが、この中学受験塾ではこんな風に「紅一点」でいさせられることが多く、ちょっと精神的にはキツい場面もあったりしました。)
そんな状態だったもので、塾側の対応は、多分一般的な生徒さん方よりも、かなり手厚かったのだと思います。
思い返すと、一年中、ずっと塾にいる状態でした。
たしか、火曜日以外は毎日授業がありました。
うちのクラスは、平日の通常授業後は午後10時まで教室に残って良い(と言うか「残れ」)と言われていて、みんなその時間に宿題や自分の課題(先生が指示してくれている)をやっていました。
分からないところがあれば、職員室に行けばクラス担当の先生か、担当不在の時は別の先生が教えてくれました。
同じ箇所でつまづいている人が何人もいるような場合は、即席で追加授業もしてくれました。
授業のない火曜日も、
「学校が終わったら来なさい」
と言われていて、職員室の一角に私達のためのスペースを作ってくれてあるので、そこで毎週午後7時くらいまで勉強していました。
土日は、さすがに普通の授業だけだったかな。
そんな感じで。
全部まるっと塾が面倒見ます!状態。
逆に言うと、家ではほとんど勉強はしなかった・・・ような気がします。
なので親は、ほぼ毎日、塾用のお弁当を用意しないといけない負担はあったと思いますが(特にうちは母も働いていたので大変だったと思います)、子どもの勉強の中身には完全ノータッチで良かったので、そういう点では気楽だったのではないかと思われます。
「早く寝なさい」
とはよく言われましたが、
「勉強しなさい」
は一度も言われたことないですね。本当に。
受験直前期の1月なんて、クラス担当の先生が
「毎朝6時に先生に電話をかけてきなさい」
と言い出しまして。
これは、受験本番に向けて朝型生活に切り替えるためです。
で、朝電話すると、開口一番
「早口言葉言ってみろ」
とか言われるんで、朝から
「カエルピョコピョコ、3ピョコピョコ・・・」
なんてやり取りをしていました。
(ちなみに、携帯電話なんてない時代ですので先生のご自宅にお電話しています。)
当時の諸々を大人になった今から思うと・・・
先生、手厚すぎる!
スパルタ式でメッチャ怖かったけど、非常に熱心な、良い先生でした。
時給換算したら、絶対割に合ってないだろうな・・・。
自分自身の中学受験塾の思い出がこんな感じなもので。
今時の中学受験は親の出番が多いようで、親の立場からすると、大変そうだなーと感じます。
(元塾講師目線では、昔の方があり得ないですけど。)
どちらが良いとか悪いとか言うつもりはなく。
(もし今うちの娘に、当時のような通塾をさせたいかと聞かれたら、させたくないもん。
渦中にいる本人は変なアドレナリンが出ているのか、充実感のある楽しい一年間でしたけど、客観的に見たらやっぱりやり過ぎなような気がするので。)
「昔はこんな塾もありましたよー」というお話でした。
お読みいただきましてありがとうございます。