おはようございます😊
先日偶然目にして
2次流通で入手しました。
1998年劇場公開作品です。
この頃私は
ディズニーにほとんど興味がなく
この作品の存在自体
最近まで知りませんでした。
1917年に起こった
ロシア10月革命から数ヶ月後の
1918年7月17日
エカチェリンブルクの商人の屋敷に
幽閉されていた皇帝一家が
銃殺によって処刑されたことは
有名ですが
その後
革命政府の実行者たちは
遺体を分散して森に遺棄した上
正式な記録や印も残さないという
ある意味
完全なる「遺棄」を行ったようです。
ロシアの広大な森林から
埋められた全ての遺体を
完全な姿で探し出すなんて
太平洋上の船から落とした
指輪を探すくらい
難しいのかもしれません。
遺体が見つからないということで
「自称アナスタシア皇女」が
過去に何人も現れて
新聞に載っているのを
リアルタイムで
読んだこともあります。
近年では
DNA鑑定なども行われましたが
結局誰も
本物認定されることは
ありませんでした。
皇帝一家処刑から数十年たち
ソ連という国家も崩壊して
今や皇帝一家は
列聖されるまでになりました。
年老いた処刑関係者や
その家族から
さまざまな情報が寄せられて
皇帝一家のうち
まだ全てが見つかっていない
遺体の行方不明部分の捜索が
続けられていて
完全には
幕を閉じることが
できていないようです。
ニコライ2世は
ストルイピンやウイッテなどの
有能な廷臣を持ちながら
ついに最後まで
ロシア皇帝位を憲法の下に置くことを
許容することができませんでした。
ロシア皇帝は
古代ローマから続く
オーソドクス
(カトリックが成立する以前の
原始キリスト教)の守護者であり
民衆の擁護者とされていました。
この点で
少なくとも19世紀や20世紀初頭においては
他のヨーロッパ列強の皇帝や王とは
民衆から見た
神格上の立場が異なっていました。
日露戦争中の1905年に起こった
『血の日曜日事件』では
民衆は皇帝に反旗を翻したのではなく
敗色濃厚な日露戦争や
慢性的な物資不足・失業などによる
生活の苦しさを改善するための
政治的な改革を
皇帝に請願するために
警察の許可を得て集まったのですが
人数の多さに警備兵が恐れを抱き
発砲して
死傷者合わせて千人ほどと言われる
大惨事となりました。
民衆が期待していたのは
皇帝が姿を現し
国民の苦境を知って
より良いように計らってくれるという
ただそれだけのことでしたが
皇帝自身の命令ではなくても
皇帝の軍隊によって
銃弾を浴びせられたことで
皇帝崇拝はもはや過去のものとなりました。
「神も皇帝もない」
という言葉が流行ったそうです。
ロシア帝国の国歌は
『神よツァーリを護り給え』でした。
神よ、ツァーリを護り給え!
力強い、偉大なる、
栄光のうちに君臨し給え!
栄光のうちに我らに!
恐怖のうちに敵に君臨せよ、
正教のツァーリ、
神よツァーリを、
ツァーリを護り給え!
これは1番ですが
7番まであるそうです。
「ツァーリ」はカエサルに由来する
ロシア皇帝を表す語で
ペルシア帝国の「シャー」の語も
非常に似ているので
そこから来ているのでしょうか。
『血の日曜日事件』は
あっという間に国中の知るところとなり
デモや暴動が頻発するようになりました。
人々は
長い間崇めていた
「地上における神の法の実行者」
としての皇帝を見限り
官僚や警察同様
「農民・労働者の敵」と
考えるようになりました。
ニコライ2世は
このような
「痛ましく、悲しい(日記より)」事件が
発生したため
ドゥーマ(下院)を開くなど
国民の懐柔を試みましたが
デモを力で押さえつけるなどの
強権も発動したため
結果的には失敗に終わりました。
こうして
緩やかな立憲民主化への移行が
成功しなかったロシア帝国では
約10年後の第一次世界大戦での
さらなる民衆の苦しみと
他国による革命援助など
さまざまな要素が重なって
3月革命ののち
10月革命が起こり
ついには
ロマノフ皇帝一家惨殺という
悲惨な結末を
迎えることになりました。
ニコライ2世は
イギリス王室の親戚でもあるため
そちらへ亡命できるよう
本人も廷臣も
努力していたようですが
第一次世界大戦中に起こった
ロシア革命当時のさまざまな事情により
イギリス王室は
ニコライ一家を受け入れることは
ありませんでした。
ニコライ2世の皇后アレクサンドラも
イギリス王室の縁戚でしたが
ドイツの大貴族出身であり
そのことも理由の一つと
言われているようです。
(この頃のイギリスとドイツの対立ぶりは
第二次世界大戦の時より
激しく見えます)
現在国民の何割かが
「王室はもう要らない」と
堂々と言うイギリスですが
それでも
チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚や
エリザベス女王の
プラチナジュビリーなどで
盛大に執り行われていたお祝いを見ると
王室・帝室というものの
「時代に伴って変化していくことの重要さ」や
「国民感情を考えて親戚といえども見捨てる非情さ」を
思い出してしまいます。
さて
『アナスタシア』ですが
「ロシア帝国」と
はっきり言っている割に
衣装の時代考証が適当で
特に
宮殿でのダンスパーティでの
ドレスのデザインなどは
ほぼあり得ないものでした。
ヒロインを助ける青年ディミトリー
(ロシア語では普通ドミートリーです)は
前年公開の有名な
『タイタニック』の
ジャックにかなり寄せてあるのが
丸わかりでした。
主人公アナスタシアは
活発でイタズラ好きだったという
史実を取り入れたようで
ややトゲトゲしく
激しめの性格に描かれています。
実際のアナスタシアは17歳で
人生の終わりを迎えてしまいましたが
物語では
8歳で家族と生き別れて
孤児院で過ごしたあと
17歳でパリに向かうことになります。
アナスタシアやディミトリーと
一緒にパリへ行く
ウラジーミルという太ったおじさんは
癒し系の楽しいおじさんでしたが
実はキーパーソンでもありました。
史実でも有名なラスプーチンは
この映画では
革命後も生きていて
ラスボス扱いです。
結局この映画は
若くして亡くなって
偽物騒ぎでも有名になった
アナスタシアへのオマージュなのか
巨大な帝国の皇帝一家と
怪僧ラスプーチンと
革命という組み合わせが
想像力を刺激したのか
はたまた
実は
1920年代の華やかなパリを
描きたかったのか
よくわかりませんでしたが
『タイタニック』とは違って
ハッピーエンドで終わりました。
今思ったのですが
私は
神も仏もサンタクロースも
心から信じたことがありません。
目に見えないものを
心から信じる気持ちや
それを打ち捨てる時の気持ちを
知ることは
一生ないのでしょう。
一昨日
「白身魚のオレンジサフランソース添え」
を作りました。
オレンジとサフランから生まれる
明るいオレンジ色は
目にも美しく
なんだか楽しくなってきます。
庭の青ネギを
剣のように
オレンジを
盾のように置きます。
こういう発想に
ワクワクします。
オレンジソースは
加熱し過ぎて
ペーストになってしまいましたので
お魚に載せて食べました。
未熟な方から刈り取るという
勿体なさよ。
大きいネギも
枯れないうちに
随時収穫していこうと思いますが
一生懸命生きている彼らに
いつも味噌汁では
申し訳ない気さえしてきます。
葱坊主は咲かせない方が
ネギの成長には良いのですが
綺麗で面白いので
どうしても
見たくなってしまうんですよね。
豆苗10日め。
豆苗は
勢いが付いてきました。
山猫🦁







