おはようございます😊
今朝の球根花壇です。
曇りでどんよりしています。
冬じゅう咲いてくれた
スノードロップは
葉っぱだけになりましたが
元気な様子です。
交代して
手前のピンクの花が
満開になりました。
名前は忘れてしまいました。
カタカナで
あまり覚えやすい名前では
ありませんでした。
清楚な
可愛らしいお花です。
植えて2〜3年経っています。
今までで一番たくさん咲いてくれています。
紫のヒヤシンスは元気ですが
ピンクのヒヤシンスは元気がありません。
やはり
原種に少しでも近い方が
元気なのでしょう。
この場所にも
鉄砲百合が
いくつか生えてきました。
クロッカスは
完全にお花が終わりました。
昨日ふと
大学時代にあった
ある出来事を思い出しました。
麗らかな春のある日
午後の講義が2限とも休講だったため
私は一人で
砂浜を散歩しに行きました。
砂浜にはほとんど人はいませんでした。
遠くに浮かぶ
ちらちらと白く光る漁船を眺めたり
波打ち際に落ちている
貝殻を拾ったりして
楽しんでいると
一人の50代くらいの
犬のお散歩中のおばさんが
話しかけてきました。
具体的な会話は忘れてしまいましたが
とても親切な
優しい感じの人で
しばらくおしゃべりしたあと
そのおばさんの家に招かれ
お茶やお菓子をご馳走になり
お土産に
そのおばさんが作った
貝殻に赤地に花柄の縮緬を貼った
キーホルダーのようなものを
いただきました。
家に帰ると
もう夕方でした。
あのおばさんは
どうして
見も知らぬ私を
家に招いて
お茶をご馳走してくれたのだろう?
としばらくは思っていましたが
忙しくも楽しい学生生活に
そのことは
あまり思い出すこともなくなりました。
それから何年も経ってから
その町のその海で
過去に何人かの行方不明者が
出たことを知りました。
そして
海なので
当然
自ら命をという人もいると
後から気付きました。
私は全くそんなつもりはなく
先に書いたように
ただ天気が良くて
休講で暇だったから
海に散歩に行っただけなのですが
優しいおばさんは
見知らぬ女の子ではあっても
危険な目に遭ったり
間違ったことをしないように
連れ帰って様子を見てくれたのかも
しれません。
そのおばさんの家の場所も
忘れてしまいましたし
縮緬を貼った貝殻も
いつしか無くしてしまいましたが
優しいおばさんの記憶は
一生の宝物です。
私が同じ年代になって
同じことが出来るか?と考えると
きっと
「この海では
行方不明者が出ているから
気を付けてね。」
と直接声を掛けるか
時間が許せば
遠くから
女の子が海を去るまで見張るくらいしか
出来そうもありません。
いろいろと
勇気のないことです。
終に完結した着物コミックです。
着物そのものをテーマにした漫画は
あまりないため
これからの分野かもしれません。
主人公のももの
就職・恋愛・転職・結婚・企業などの
人生のステージに合わせ
着物好きだった祖母の着物を軸に
過去や現在の着物文化を
描いていくという物語です。
ただ
産地・技法・伝統・歴史といった
着物のプラス面にのみ
焦点を当てている傾向があります。
身分制度の厳しかった時代には
着物にもそれが
微に入り細に亘って適用されていたこと。
近代においては
日露戦争の戦費を賄うほど
絹工業は発展したものの
その影に
多くの女工の悲劇があったこと。
特に近年は
富岡製糸場などのイメージアップのためか
他県の武家の子女が
活躍したことがズームアップされていますが
父が祖父から聞いた話では
製糸場の人材係が
貧しい農家などに訪れ
その家の借金分を前渡して
娘を連れて行く。
見たこともない大金
(それでも製糸場にとっては
大した金額ではない、という程度)
親が使い潰してしまい
娘は家に帰れないまま
長時間労働で体を壊して
家に帰されてまもなく・・・
というものでした。
これは
後に『おしん』で見た
おしんの姉が同じ運命を辿っていて
橋田壽賀子という
あの時代を生きた人が描いており
ちょうど「おしん」と同世代だった祖母が
「昔はね本当にあんなふうだったよ。
おしんは本当の物語だよ。」
と
何を思い出したのか
涙を浮かべて語っていたので
私は昔の
『女工哀史』的な絹工業の歴史が
真実だったと思っています。
そもそも
労働基準法やら
労働基本法やらがあっても
「過労死」が後をたたないのがこの国なので
そんな法律もないなら
貧しい庶民の娘など
虫ケラ扱いだったと考えない方が
おかしいです。
さらに
戦後の高度成長期に
人々が豊かになったり
生活が欧米化してくると
洋装が一気に拡がって
普段着の着物が売れなくなり
着物業界は
高級路線へシフトして行きました。
そして
ますます着物が売れなくなって
今では
浴衣すら一人で着られないのが
標準ということになっています。
高度成長期を
直接知っているわけでは
ないので
推測混じりにはなりますが
母の話だと
当時はまだもちろん
今のような激安衣類はなく
国内生産で手縫い部分も多かったので
ちょっといいレストランへ行くような
ワンピースとジャケットで
今の5〜10万くらいじゃないか
とのことでした。
これは今の国内生産の
材料と縫製にこだわった洋服と
同じ価格帯かなと思います。
そして
今の日本の着物チェーンが
お仕立てで
国産の綿織物・海外の縫製で
提供する着物と
シンプルまたは
ジェットプリント柄の
海外絹の帯を合わせた金額と
そう変わりません。
つまり
普段着物をあっさり見捨てず
才能あるデザイナーを起用し
流通を刷新すれば
当時の普段着物にも
まだ生き残る道はあったのではないか
と思うのです。
ただあの
ブレインがダメダメ過ぎた戦争のせいで
他の分野同様
貴重な若い職人が
犠牲にされてしまっていたので
そのことも随分
マイナスになってしまったと思います。
ファッションである以上
色や柄は
材料や着心地、価格と同様か
あるいはそれ以上に
非常に大切な要素なので
高度成長期に中堅になったはずの人々が
少なかったというのも
致命的だったのかもしれません。
そんなわけで
着物という文化が
他の国のどんな衣類とも同じように
マイナス面をも背負っている
ということを
ほとんど描かなかったこの作品は
いわゆる
「蝶よ花よ」なイメージが拭えませんでした。
ついでに言うと
製作陣が全員関西人なのか
付録の「着物でお出かけマップ」が
関西ばかりだったのが
関東住みとしては
ちょっと残念でした。
山猫🦁






