39歳になる頃になると
仕事の忙しさが
以前にも増して
激しくなって来た


朝は
4時50分起床
5時45分出発と
相変わらず早く

帰宅する時間も
20時を過ぎる時が
殆どだった



しかも
営業職だったので
残業手当もつかなかった


サービス早出
サービス残業だけで
月100時間を超えることもざらだった




帰って寝るだけの毎日

一番酷い時は
自宅滞在時間は
僅か5時間だった




当時の社長は
僕の父親だった

通勤も全て同じ車
ストレスは半端なかった



1分1秒でも早く帰りたいのに
なかなか父親は帰ろうとしない

誰か残っている人間が居ると
帰るのが嫌なのか分からないが
理解不能な行動だった




帰宅したら
夕飯も摂らずに
寝ることもあった

時間が足らなかった

一番欲しいのが
時間だった




週末も疲れが溜まりすぎて
何をする気にもならなかった


長女は14歳
次女は9歳になっていた




ある日のこと
疲労困憊で昼寝をしていた

するとうるさい声で
目を覚ます




いつまでも寝てんと
〇〇(次女)の宿題見て!



少しは寝させてくれ
睡眠時間毎日4時間半やねん



そんなん知らんわ
さっさと寝たらええやん
何してんのか知らんけど
いつまでも起きてるしやろ!




何してるって
その時間しか自分のしたいこと
出来ひんねん



もうどうでもええから
さっさと起きて!

宿題終わったら
二人で買い物行って来て!





こいつはやっぱり鬼だと思った

これっぽっちの情けの気持ちもない



旦那が疲れているから
たまには寝かせてあげようとか
そんなこと一度も思った事ないのだろう





大きな欠伸を連発しながら
僕は娘の宿題を見た



もう目も限界だった

眠りたい気持ちを必死に抑えながら
買い物に行く



娘がお菓子を欲しがった
買うのはいつも僕の役目だった

帰宅する




またそんなもん買って来て!
あんたが買ったんやから
お金はあんたが出しときや




小遣い7,000円の夫が
立て替えた
お菓子代を返して貰えない





結婚はやっぱり墓場だと
改めて実感した























間違って1994年のベストソングに

BON JOVIを入れてしまいました

正しくは1995年発売でした


よって1995年を飛ばして

1996年のベストソングを選出しました


第10位

Father Forgiven Them/IMPELLITERI


偉大なるマンネリズム

インペリテリ


これ程ど直球の

様式美メタルを貫けるのは

彼ぐらいでしょう


イングヴェイよりも

イングヴェイらしい

アルバムだと思います