今から26年前
長女は産まれた

予定日よりもひと月早く
産まれた長女は
僅か1850gだった


産まれて直ぐに
産婦人科から
総合病院に移動し
保育器に入れられた

そして無菌状態の部屋に居る
娘に飲ます為の
冷凍した母乳を
僕は毎日病院まで運んでいた



未熟児で産まれた事で
妻は当時かなりショックを受けていた

その妻を励ますつもりで
僕の母はある新聞記事を渡した

その記事は娘よりも
超未熟児で産まれた赤ん坊が
何の病気になる事もなく
元気に育ったというものだった


記事を目にした妻は
泣きながらこう言った


お母さんはどういうつもりなん?
こんなもの見せて


どういうつもりって
元気になって貰いたいからやろ?


これ見て私が喜ぶ訳ないやん
これ以上追い込んで嬉しい?


えっ?
追い込む?
そんなつもりで見せてへんやろ
その言い方はちょっとおかしいわ


もういいわ
早く帰って
親子揃って変やし



思えばここから
僕たち夫婦の歯車は
狂って行ったのではないだろうか



娘が無事大きく育ってからも
事あるごとに妻は
僕の親に対しての不満を漏らすようになった

産まれる前は
一度も言った事なかったのに



実家に行くのを嫌がり
何とか行った後も
必ず僕にありがとう
という言葉を要求した

そして必ず
お母さんなんであんなこと言うの?
とか
お父さんのすることイライラする
とか
お兄ちゃん居るだけで
腹立つとか

とりあえず僕の家族の文句を
言うのか日課になったのだ



それなのに
僕は向こうの実家に行っても
妻はありがとうさえ言わない


ある日
妻の弟は
僕の長女の泣き声に
テレビが聞こえないと言って
うるさい!と怒鳴り
部屋の壁に穴を開けた

しかし家族は
何も言わなかった


それまでも妻の父親は
自分の息子に対して怒る事は
一切無かった

妻とはいつも口喧嘩をしていたのに
弟には何も言えない感じだった

将来面倒を見てもらう為なのか
その溺愛ぶりは側から見ても異常だった



妻の旦那より
自分の息子に酒を注ぐ父親

あんなに
居心地の悪い場所は無かった



こうして
段々と互いの実家に行く事は
無くなっていった



しかしその五年後
次女が産まれた

また嫌な親戚付き合いが
再開したのだ




 








鶏むね肉と大根の重ね蒸し

たたき胡瓜と竹輪のしみ漬け

卵と舞茸のすまし汁


むね肉はポン酢で食べました

ご飯のお供にピッタリです















野菜や果物をネットで買った事は

ありませんが

見てるとなんだか欲しくなって来ました