※夏休みを利用して実家に帰省した。

 まきば公園は山梨県北杜市にある羊が触れる癒しの公園です

 

 

少数の例外は除外してのことだが、汎用的で分かり易い言葉ほど、
その言葉の指し示す意味や概念の幅は広く、反して難しい言葉は単純な概念だけでなく、背景やシチュエーション、情感など多様な情報が
含まれていて、使う機会は自ずと限られる。例えば

①会う(あう)
②逢瀬(おうせ)
③邂逅(かいこう)

いずれも広義に何かと何かが顔を合わせる、という意味合いを持っている言葉だが②については、特に「男女」が「秘密裏」に会う時に使われ、悲恋やいけない情事を感じさせる言葉であり、また③については「意図せず」「巡り会う」という意味合いであり、運命的な、
ドラマチックな事情を含む出会いの言葉である。


おれがたまたま道を歩いていて、日頃も親しく会う友人に
ばったりと遭遇したことを文章化した時に、

・今日、たまたま友人と会った

は特段不適切な表現ではない。

しかし、
・今日、たまたま友人と逢瀬した
・今日、たまたま友人と邂逅した

これらの表現は適切とは言えない。


「逢瀬」は男女(意訳すれば恋仲同士)が人目を忍んで会うことであり、たまたまの友人との遭遇は人目を憚るものではなく、ましてや恋慕の情が無いからこそ友人なのでありいずれの面からも逢瀬が不適切であることは明白である。

 


「邂逅」については事後的にこのたまたまの出会いが劇的な意味を帯びるのであれば間違い、とは言えないかもしれないが巡り会い、という意味も孕んでいる遭遇だったかと考えると妖しさがある。


10年来、片想いを続けていた先輩に意図せず出会い、
飲みの約束を取り付けた、というような出来事であれば
邂逅という言葉を当てはめるのは適切である。
(この劇的具合は当人に因るところが大きいが)


邂逅という言葉を知らない人が、
「聞いて!今日さー大学の時にめっちゃ好きだった先輩がいたんだけどその人と偶然あってさー、やばくない?昔話をしてたら先輩も懐かしくなっちゃったみたいで。週末飲みにいくことになったんだー、めっちゃいい出会いだった!」
と喋っても、その人の感嘆具合は十分に伝わってくるが、もし文語で伝えるのであればめっちゃ、とかやばい、とか最上級の程度を表す形容詞を徒らに重ねるよりも一言、邂逅と添えることでより劇的な出会いだった感情が端的に相手に伝わるのではないかと思う。


故に語彙は多いに越したことは無く、自分の発信の精度を上げるとともに、相手のメッセージも正確に受け取ることが出来るからである。

 


と。ここまでが、前段。


なぜこの記事を書こうと思ったのかを書くと、とあるまとめサイト記事の中で「本当に頭のいい人」について意見を交わす記事がありその中で、「本当に頭のいい人は誰にでも分かる言葉で説明する」という命題を挙げた人がいて、これについて、不完全さを感じたため、反例を挙げるためにまずは語彙の価値について述べたのが今回の記事になります。

前段が大分長くなってしまったので次回、この命題についての反例を述べていきます。お付き合いお願いします。