※当記事内に出てくる憩いのタバコ屋さん

 

 

先週、仕事が終わって自宅近くのタバコ屋の喫煙所で帰宅前の一服を味わっていた時の話。長文ですがご容赦ください。

そのタバコ屋は対面販売用のガラス窓付カウンターを備えている昔ながらの小さなお店であり、併設されている喫煙スペースはスモールなエリア。そのため喫煙する人が複数人いると自然と人との距離が近くなる。

この日も喫煙所に先客(男性)が一人いたが特に気に留めず、灰皿の近くに陣取りお気に入りのラークに火をつけ、その日の疲れを吐き出していたところで先客の男性が何やらおれに話しかけてきた。

何やら、と書いたのは、その時おれはイヤホンで音楽を聴いていたため内容が分からなかったからだ。
(ちなみに耳の中ではDragon Ashの「Iceman」が爆音で流れていた。彼らの初期のころのパンク・メロコアテイストの名曲だ。この補足はいらないかも笑)

反射的に、火でも借りたいのかな、と考えたが、おれより先に喫煙所にいたことを思い出し、ライターを持たずに後発の喫煙者を待つなんてことは可能性として低いだろうと思い至る。


わざわざイヤホンをしている他人に話しかける用件とは何だろう、と
興味と身構えの気持ちを備え、ゆっくりとイヤホンを取り「何?」と表情で訊いた。

すると、想定外の言葉が彼の口から放たれた。

「出身はどちらですか?」

刹那、思考はフリーズした。

……なんだ?意図がよく分からないぞ。
フリーズを解除しつつ返答をする前に、彼の様子を観察する。

年は……俺と近いくらいの年齢か?
少なくとも成人してから二桁年数は確実に経過しているだろう。いい歳だ。

服装は…全体的にお洒落さより機能性に重きを置く主義のようだ。
特に防寒目的のみに被っていると思われる黒いニット帽が、暖かそうだがスタイリッシュさからは離れた印象になってしまっている。

顔面を観察する。
寒さもあってか鼻の下に鼻水が浮いている。

警戒度が少し上がる。

ただ、質問を投げかけたその表情に悪意は読み取れず、少々迷ったが一旦は素直にやり取りをすることにした。

「東京の隣の山梨です」

わざわざ“東京の隣”と添えたのは稀に都内にいながら山梨県の場所を把握していない人がいるからだ。

山梨出身のおれからすると、そんな人に遭遇した際は、関東近県マップを片手に「見てください!山梨は天下の東京に隣接していまぁーす!」と叫びたくなる。しかし、山梨県の位置の認知度はそんなものだろう、という諦観もあるので相手に恥をかかせぬよう、また余計ながっかり感を味合わぬよう自然と出身地を言う場面では先行して補足情報を付加している。

だが、この謎の男性は、この点において好反応を示す。

「山梨ですか、いいところですよね。甲府の方ですか?」

おお、山梨を知ってくれているのか。言葉が自然と繋がる。

「甲府の近くです。二つ隣の市の南アルプス市っていうところなんですけど」
「ああ。北岳のあるところですね」
「そうですそうです!よくご存じで」
「登山が好きで山梨には何度か行っていて。春頃には大菩薩峠に行く予定なんです」
「ああ、大菩薩峠ですか。もし峡東のほうに寄るならほったらかし温泉やフルーツ公園なんかもお勧めですよ」

と、地元を知っているどころか何度か足を運んでくれていることが分かり、嬉しさから、訊かれてもいないのに山梨のエセ観光大使よろしくお勧めスポットを挙げていた。

ふと我に返り、相手の素性が気になりこちらも質問を投げてみた。

「ご出身はどちらなんですか?」
「栃木です」
「栃木ですか。宇都宮とか?」
「あー、もう少し南のほうですね」
「なるほどぉ」

なるほどぉ、と返したがやばい、栃木についての情報がおれの中には少ない。何がなるほどだ、何もなるほどってない。おれのバカ!

ここは視点を変えて。

「宇都宮には餃子を食べに訪れたことがあります。あ、あとその時に佐野市に寄って佐野ラーメンも食べたな」
「ああ、佐野ラーメン。地元は佐野市に近いですね。佐野ラーメンはどこで食べました」
「確か〇〇っていう、わりと観光客向けな印象のお店でした」
「あぁ、〇〇。そこ、当たりですよ。観光客向けでもおいしいところはおいしいし、地場のお客さん向けにやっているところでもハズレはありますしね」
「そうなんだ、うん、でもおいしかった記憶があります」

ラーメンは国境、もとい県境を越える。この時確信したね。

と、おれは何とか彼と同程度、相手の地元情報に触れる、ということをやってのけたつもりだったが、しかしおれの栃木の地理情報が貧相なことを慮ってか、

「日光なんかは行ったことないですか?」

と投げかけてきた。


ナイス。非常に優秀なクエスチョンだよ、きみぃ。

「あ、そういえば日光も栃木でしたね。ありますあります。東照宮、行きました。鬼怒川温泉に泊まりました」
「あー鬼怒川温泉。ありがとうございます」
「いえいえ。でもこないだネットで鬼怒川温泉って 今結構廃れちゃってるみたいな記事を見たんですけど、そうなんですか?」
「いやー、どうだろう。確かに一時期よりは賑わいはありませんけど
最近はインバウンドのお客さんが結構戻って来ているみたいですよ」

ネットの記事と地元の彼の情報と、どちらが精度があるのかは不明だが、前向きな状況もあるらしい、ということが分かっただけでもよかった。

と、気付けば正体不明な男性とタバコを燻らせながら数分ほど会話をしていた。

お互いの地元トークが終わり、アイスブレイクも終わったところで
おれは彼に対してもう少しリアルな素性と状況を訊いてみた。
彼は特に嫌な顔をせず応えてくれた。

・自分は今現在も栃木で暮らしており、妹が東京の大塚に住んでいる
・妹は現在海外出張しているため、妹の部屋を宿として東京観光に来ている
・東京には憧れがあった。(おれが)大塚で一人暮らししているのはすごいし羨ましい


という主旨のことを語ってくれた。
話を聴きながら、この名も知らぬ同年代ほどの男性の地元や家族のことを少し想像し、そして誘発的に自分の地元や家族のことも想った。いい時間だった。

最初声をかけられた時に警戒心を持ったことに気遅れを感じた。
慎重さは勿論大事なんだけどね。話したら純朴ないい人だった。

自分の中のお詫びとして、こちらも訊かれてはいないけど、
「もし、飲みに行くのなら南口のサンモールか北口の線路沿いの店が
いい店が多いですよ。もしよければ」
と伝えて喫煙所を後にした。
晩酌をするタイプかは分からないが何か彼に報いたい気持ちだった。


自宅に向かいながら、唐突だった他愛なく心地よい先ほどのやり取りを思い返し、喫煙所に訪れた時より足取りと気持ちが軽くなっていることを自覚した。


日常の中の小さな非日常。あるいは小さな幸せ、とも。


話が少し逸れるんだけどおれは瓶のラムネがすごく好きで。童心を蘇らす、あの爽やかなラムネの味にキメ細やかな炭酸が混じって素晴らしい清涼感になっていて。

けどラムネって日常的にはあまり飲まないじゃん?
飲み物単価としては少々割高だし、蓋開けるの下手くそだと手も汚れてべとべとするし、瓶とか片づけるのも面倒だし。

そんなコスパの悪いあの飲み物は夏祭りとか避暑地とか夏の観光地とか海とか、非日常の楽しさや気分を増幅させる贅沢な飲み物なんだよね。

そんなラムネを、特になんの変哲も無い日にわざわざスーパーで
買ってきて、ちびちびやりながら煙草を吸うのにハマっていた時期があった。「日常の中の清涼感だー」って。

大分長い文になってしまったが、栃木から来た彼との会話で、日常のなかの小さな幸せに意識的だった頃を思い出したわけです。


小さな幸せを大事に出来るアンテナと、その実感の積み重ねが大きな幸せの形を変えることもあるだろうな。


ということでみなさん、ラムネを日常的に飲みましょう笑


最後までお読みくださりありがとうございました!

 

あけましておめでとうございます。


このアカウントは都内の散歩記事が主なのだが昨年秋口ころから転職やら引っ越しやらでバタバタとしており散歩を敢行出来ていないため、ここ数回は散歩に全く関係ない記事が更新されている。


年明けから新しい散歩の記事を書けるかなーと思っていたが、もう少し時間が必要そうなので散歩に関係ない記事がしばし続きますがご容赦ください。(年明け一回目なので記事の補足を……)


さて、今回はタイトルの通り漫画の話!


「今回は」、と言いつつシリーズ化の可能性を考慮してタイトルにナンバリングをしているあたりから推して知るべし、おれは漫画が大好きである。


少年ジャンプとかマガジンの発行部数が頂点だった時に小中学時代を過ごした世代である。漫画と疎遠な同級生はいなかった。


200円を握りしめて近所のスーパーにジャンプを買いに行った日々よ。。今はいくらなんだ?

(調べたところ電子版と雑誌版があり、雑誌のほうは290円だそうだ。なんと!)


当時は発売日の火曜日が楽しみだったなー


……ああ、違う、懐古をしたい訳では無くて。


なぜ急に漫画の記事を書きたくなったのかと言うと先月、冬目景(とうめけい)という作家の原画展に行ってきて漫画熱が再燃しているからだ。

 

 

いつまで続くか分からないが思いついたら好きな漫画(あるいは漫画家)の紹介や所感を書き殴っていきたい。


初回は漫画熱再燃のきっかけをくれた冬目景先生を。


冬目景は「羊のうた」「イエスタデイをうたって」などの代表作がある漫画家、イラストレーターだ。


代表作はアニメ化や実写映画化もされているので漫画好きな人であれば知っている人も多いのでは?長らく作家として活動していることから鑑みても「人気作家」と括って良いと思う。


原画展をやっていることを知ったのはたまたまだったが、知った瞬間から「あ、いつ行こうか」と考えるくらいに好きな作家の一人である。


何がいいかって。


まず圧倒的に絵が好み。


冬目先生は元々、美大で油絵を専攻していたそうで、油絵のタッチで描かれるカラー絵や、筆などを用いた原画は重厚さや叙情をビシビシと感じる(そして可愛い。これ重要ね笑)。


※着物の柄と油彩がとてもマッチしている


漫画って、絵と文字で物語が展開されていくコンテンツだけど、冬目先生の絵は文字以上に語る、というか。

 

 

絵から人物の心情だったり感情を多分に想起させる。非常に魅力的である。


そして、絵と同等に魅力的なのが、作中の人物達が織り成す機微な人間模様の描写だ。

 

 


それは作品によって、人との距離感だったり、微妙な心の変化だったり、力強い意志だったり、様々だけど、総じて「人」や「人生」に対しての深い洞察と、繊細な感受性と、何より愛が無ければ描き得ないのではないかと思っている。


原画展の後、
家にあった冬目先生の作品を読み返したのは言わずもがな、未読の作品もアマゾンでポチり、果ては最新作の単行本も書店で購入、と年末年始は冬目景熱に浮かされた。


超絶わがままな希望だが冬目先生にはおれが死ぬまでは作品を発表し続けて欲しいと思った。


今回はここまで。


あ、ちなみに冬目先生の作品の中でもし一つお勧めするのであればやはり代表作である「イエスタデイをうたって」かな。


最新の「百木田家の古書暮らし」も古書というモチーフを中心にした謎や人間模様が楽しみな作品。


機会があればぜひ読んでみてください!

 

 

では、今年もよろしくお願いします。

※ニラモツあんかけラーメン。大塚で開拓した中華屋。つまみにもシめにもいける優れものの一杯だ

 

 

転職を経て引っ越しをした関係で、休日に何かしらの事務的な用事が入っていることが続いており、ここのところ全く散歩に行けていない。


本来なら早々に引っ越してきた大塚を練り歩き、南口のサンモール商店街やのれん街の味わい深い様子や北口の再開発の様子だったりいかがわしい通りなどを色々記事にしたいところなのだが、まぁ今は時期が悪い。


年が明けたら本腰入れて散策を再開することにしよう。


ということで散歩再開までのしばしの間、雑文的な記事を書いていくことにする!年明けくらいまでかな?よろしく!


転職をして、仕事で車の運転をするようになった。


免許は二十歳の時に取ったが、専ら運転は地元(山梨)でしかしておらず、都内の道はほぼ初心者だったので慣れるのに悪戦苦闘している。


ちょっと都内のドライバーさんに言いたいんですけどね!


東京の道路、路駐多すぎじゃない?!(驚
路線バスとかタクシーとか、営業ありきで道路の流れとは別の動きする車両も多いしさ(怒
極めつけは通行区分指定の車線の多さよ。自分が進みたい方向に行けないことがしばしば(泣


片側一車線の果樹園広がる山梨の道路が愛おしいわ!


しかし仕事だからしょうがない。


見てろ、
東京の道路に慣れてきたら、運転が覚束ないやつを見つけては片っ端から華麗に道を譲ってやるからな。未来のペーパードライバー達よ。待っていてくれ。


そんな感じでドキドキしながら日々運転をしているので教習所に通っていたときのことを思い出した。


「愚者同士が出会うと事故が起こる」


学科教本に書いてあった言葉である。


解説には、
「自分勝手な運転をしている人(愚者)がいたとしても、他方が注意を払っていれば危険を未然に防ぎ事故を防ぐことが出来る。 ただし、自分勝手同士が出会ってしまうとお互い危険を顧みず、結果、交通事故に繋がる可能性が高くなってしまう」
というようなことが書いてあったと記憶している。


これは運転に限らず、人とのコミュニケーションにあてはめても同じことだなとふと考えた。


一方が自分勝手なコミュニケーションを押し付けても対する人が、進みたい方向に合わせてフォローしてあげたりどっちに進みたいか質問したり、進みたい方向に進めるように言葉を足したり、進むまで我慢したりすることでコミュニケーションは一応成り立つ。


ただ、残念なことにコミュニケーション上のペーパードライバーは車の運転と違って「相手が譲ってくれた」「待っててくれた」「合わせてくれた」などの相手の配慮に気付かないことが多いのではないかと思う。目に見えない配慮だから。


車の運転と違ってコミュニケーションの場合、社会的なやんごとなき事情さえなければ譲りたくない相手には意図的に事故を起こすことも出来る。事故を起こして、相手にシグナルを送ることも出来る。


生命に直結しないからといって、コミュニケーションを手なりでやっているといつか痛い目にあうかもしれない。
運転もコミュニケーションも、自分の技量、相手の技量をしっかり把握して適切に行おうと思いながら、今日も川越街道をプルプルと走ってきたのである。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!


※サイバーな電柱!かっこいい

 

 

前回記事の予告通り、今回はいつもの散歩記事はお休み。


とある方の記事を読んで、人間関係についてのなんたるかあれやこれやを書きたくなった。


偉そうに講釈を垂れるつもりは無いが自身の考えを明文化することで、読んでくれた人の考えの整理に、またおれ自身の確認にもなれば、という主旨での記事である。


では。


おれの人間関係の基本方針は、20年近く付き合っているとある友人の姿勢に多分に影響を受けている。


彼…そう、便宜的にZ君とでもしておこう。


簡単にZ君の紹介をすると、彼はかなりのキれもので、ものごとの構造的理解、本質的解釈が常人の8倍、おれの1.5倍ほど早く(笑)
世の中を俯瞰的に、そして情熱的に捉えることが出来る稀有な人物だ。


Z君と親密になりたての頃は話をするだけで面白く、飲酒を口実に結構な頻度で会い、あらゆることを語り尽くした。


当時の、20代らしい話題、スポーツ、ネット、ゲーム、音楽、恋愛、漫画などはもちろんのこと、政治、投資、家族、科学、アウトロー、宗教、ギャンブル、人生観、死生観などなど、テーマはあらゆる方向に転がった。


どの話題でも、
Z君は機知に富んだ自論を展開するか、誠実さを突き詰めた所感を述べ、いずれにしろ、凡人の1.5倍しか引き出しの無いおれには言葉の一つ一つが新鮮であり刺激的であった。


脈絡は覚えていないが、話題が人間関係に及んだ時、Z君は「おれは人間関係を損得で考えているし、考えるべきだと思う」と言い放った。


頭のいい人にありがちな、若干ドライな物言いに表面上の姿勢は賛同こそすれ、少しモヤモヤした気持ちも生じていた。


おれとの仲も、損得ありきであり、得が無いと判断したらいずれ使い捨てカイロのようにポイッなのか、というモヤモヤだ。


だが、
彼の考えを聞いて、モヤモヤは払拭されるとともに、すこぶる関心した。


以下、Z君が当時おれに説いた人間関係論の要旨である。
--------------------------------------------
①人生に於いての時間の有限さを意識する
②知人や友達に使える時間は無限ではない。
 「知り合った人全員大切で全員と仲良くしたい」
 という博愛主義は現実的に無理である
③自ずと、人間関係に優先順位が出来てくる
④付き合って「得」な人の優先順位を高めるべき
⑤「得」は金銭や利益だけではなく、心理的な
 ものや状況的、主観的なものも含めての「得」
⑥付き合うべき人間がブラッシュアップされる
⑦ブラッシュアップすると同時に、自分も相手から
 ブラッシュアップされる可能性があることを
 自覚して、関係を保持したい人との付き合いは
 誠実に、且つ常に何らかの利益を提供できる
 ように心がけ、努力する
⑧双方が努力して双発的な関係になるのが理想的 
--------------------------------------------


Z君に関心したのは
「損得」という言葉は、いかにも商売人がお金を数えているようなイメージが浮かび、道徳、倫理や情愛の正反対の位置にあるような
ものと捉えがちだが、物質的な損得という狭い話では無く、心理的なものも含めての損得と括ったところだ。


Z君の論を例にすると、
「一緒にいて、落ち着ける人」
「ニッチな趣味について心ゆくまで話せる人」
「地元が一緒で親近感を持てる人」
も付き合って得な人だし、
「話はクソつまらないが毎回奢ってくれる人」
「社会的ポジションが上で、この人に気に入られれば
 社会的立場が上がる可能性がある人」
「人間性は最悪だが、謎にコネがありあやかりたい人」
も、その人が望んでいれば付き合って得な人である。


Z君の人間関係論は一見、先鋭的だが、

「その人との付き合いは自分にとってどのような得があるか」
を客観的に考えさせると同時に、自身が人間関係で求めているものを
浮かび上がらせるものであり、現実的なやり繰りも網羅された誠実な内容であった。


家族愛や地元愛、元カレや元カノなど。
実際は成立していない親愛や情をあるものとして盲目的に心棒するよりは8倍ほど、的を得ている思考である。


うーん、上手く説明出来ているか不安だが、誰もが優しい、良いやつでありたいと思うのは当たり前だしそう振舞うのも自由だが、結果的に本来時間や労力を割く人にリソースを割けていない、下手をすると相手からブラッシュアップされてしまうかもよ、という警鐘となんでその人と付き合ってるか、もっともっと自覚しよう、という、自戒も含めたZ君紹介記事でした!


最後までお読みいただきありがとうございました!

※米処らしい写真を。

 

 

山形散歩シリーズ第三回。

前回からほぼ丸々一か月更新を空けてしまった。

 

 

私事ではあるが……転職に伴い引っ越しをすることになり、多忙を極めたことが理由である。一足早く師走が訪れたような。。

 

 

ようやく引っ越しを終え、取り急ぎの荷解きを済ませ、ライフラインやらインターネッツも開通したのでPCを開くことが出来た。

 

 

世田谷から豊島区大塚に引っ越したのだが、大塚は今でこそ山手線の地味駅だが、明治末期から昭和にかけて、荒川線と山手線が交差する唯一の駅として大いに賑わったそう。

 

 

その名残としてサンモール商店街や三業通りなどがある。

 

 

引っ越して数日で、腰を据えて散策をすることが必然であると感じているが、その記事はまたいずれ。

 

 

今回の記事の本題である山形散歩に戻ろう。

 

 

山形散歩、一回の記事は米沢市内の様子を、二回目の記事は観光地的な場所を取り挙げたが最後である三回目の今回はおれの独断のよかった景色を載せていく。

 

トップの写真は「置賜自転車道」からの光景である。

 

 

置賜自転車道は以下。

 

 

残念ながら風雨にさらされて目的地の地名の文字が見えなくなってしまっているが。。

 

 

仕事の出張で米沢に数日滞在したが、案外に自由時間があり、市内を散歩するに留まらずこの自転車道路をランニングしていたり。

 

 

置賜自転車道路は最上川に沿ってサイクリングロードが整備されている道なのだが、道中の景色が自然味いっぱいで走っていてテンションがあがった。

 

 

 

森の中に誘われている。

 

 

潜ってみるとこんな感じ。

 

 

そして木々を超えると……

 

 

心が洗われる。

 

 

自転車道に沿っている最上川にも降り立ってみた。

 

 

 

丁度、台風一過後の晴れ空であり、巻雲と巻積雲が混ざったような空がいい具合だった。

 

 

次は市内の一角にある、米沢市の歌舞伎町と思われるエリア。笑

 

 

市内を散歩してみて、米沢が街並みが本当に古風然としていていいな~と思っていた中で出会った一角である。

 

 

これはこれで味があり素敵だ。笑

せっかくなので接近してみた。

 

 

 

 

渋いぜ。

 

 

せっかくなので夜にでも足を運んでみたいと思ったが、仕事で来ているので先輩に言い出せず断念(当たり前か

 

いつか個人的に米沢旅行に行って、訪れようと固く心に誓ったのであった。

 

 

そして最後はやっぱりこいつの写真を載せねば。

 

 

そう、米沢ラーメン!

 

 

味噌ベースに辛玉、具材に三つ葉や青のりなどを入れたのがベーシックな米沢ラーメンのようだ。

 

 

残念ながら辛いのが苦手なおれは辛玉を十分に活かしきれなかったが十分においしい味であった。味噌好きだしおれ。

 

 

米沢から帰京するときは彼にしっかりと別れを念じて新幹線に乗った。

 

 

と言ったところで山形散歩の記事はこれにて完結。

 

 

散歩記事というより旅行記の様相を呈しているが、細かいことはともかく、一人でも米沢市に興味を向けていただけたらありがたい。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

次回は散歩記事を一旦お休みしてちょっと真面目な記事を書く予定です。

※上杉謙信を奉る上杉神社。謙信と言えば越後を治めていた戦国大名だが、関ケ原の合戦後、上杉家は米沢藩へ移封されたため、米沢市には上杉家由来の神社や墓所、建物などが多数ある

 

 

米沢市の散歩記事第二回。

前回の記事は米沢市の様子がメインだったが今回は主に観光地とか著名な建築物。

 

※上杉神社の入り口参道。うーん、「龍」と「毘」の旗が童心をくすぐるぜ

 

 

神社入り口には米沢に縁のある武将の紹介版が立てられていた。

 

 

右が伊達政宗、真ん中が直江兼続、左が上杉謙信の養子であり米沢藩初代藩主の上杉景勝である。

 

 

であるのだが……、人物画のクセ強い……っ!!

 

 

昨今の戦国武将をモチーフにしたアクションゲームの美形化は行き過ぎ感が否めないが、もうちょっと…かっこいい絵でもよかったのではないだろうか。。なんだか悪党の集まりに見えてしまう。。「米沢藩で私腹を肥やした武将達」みたいな説明のほうがしっくり来てしまうような(いや決してそんなことは無いことは百も承知だが

 

 

出典元の問題なんだろうが。

 

 

参考に、某アクションゲームでの伊達政宗、直江兼続を載せておく。

 

画像引用「コーエーテクモゲームス:戦国無双3」

 

伊達政宗(左)はジャニ系、直江兼続(右)はシブい系だな。

 

※本殿へと続く門

 

 

宝物殿である「稽照殿」。ケイショウデン、と読む(シラベナキャヨメナカッタッス)。

 

 

上杉謙信はじめ兼続、景勝などの遺品が展示されている。面白かったのは、謙信が武田信玄を討伐するのに神の加護を得るために書いた祈願書の展示があり、説明を読むと「信玄は民を脅かす仏敵である」と悪魔のように書かれている点だ。

 

 

米沢に来る一月前に、地元山梨で信玄橋を歩いて渡り、その記事を書くために信玄の治水事業などを調べて「信玄やるじゃん」という感想を持ったのだが、当時の対立国大将からの全く逆の評価に出くわし、戦国時代の熾烈な現実感を得ることが出来た。

 

 

「謙信様。おれ、甲斐国の領民の子孫だけど呪ったりしないでね」と思いながら稽照殿を後にしたのだった。笑

 

 

さて、上杉神社の次はここ。

 

 

旧米沢高等工業学校校舎。

前回の記事のトップ写真にした建物だ。

 

 

現在は山形大学のキャンパスの一部になっている。

 

 

細かい情報はWikiを見てもらうとして……

 

 

米沢高等工業学校 - Wikipedia

 

 

建物がシンプルにかっこいい!

米沢市の観光地を調べていて、この建物の写真を見て「あ、これ生で見てー」って思ったよね。

 

 

 

外壁の木板の劣化具合とか柱に取り付けられている金属のさび具合とか、経年は感じさせつつ、建物全体としては何ら問題なく、威風堂々と鎮座している。

 

 

ルネサンスとかバロックを謳う建物は、少ないながらも数十種は見たが、個人的に一番かっこいいと思える荘厳な佇まいであった。

 

 

はい、次は上杉家廟所。

 

 

廟所。つまりは墓である。

 

 

元々は上杉景勝が逝去された際に、歴代藩主の墓所として定められたそうだが、その後、米沢上杉家の開祖である上杉謙信の遺骸もここに移葬された。

 

 

 

これらすべて歴代藩主のお墓である。

公人とはいえお墓をパシャパシャと写真に収めるのは少し気が引けたが、晴れ間と景観の相性が良すぎたことを言い訳にしよう。

 

※廟所でも「毘」と「龍」の字の旗が。結構な高さの杉の木と相まって、しばし現世を忘れさせてくれる様相

 

 

といったところで今回はここまで。

 

 

他にも立ち寄った観光地はあるけどいずれも米沢藩、上杉家へのリスペクトをそこかしこに感じる場所だったな。

 

 

次回、米沢編ラスト!

旅行の思い出的なブログになっていますが笑

お付き合いいただけましたら幸いです。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

※明治43年竣工、ルネサンス様式、国の重文指定。と色んな肩書があるが、とにかく建物がかっこいい!こんな学校今もあったら皆勤賞だ!

 

 

前回までの山梨散歩に続き、今回も都内では無く、山形県米沢市の記事になる。

というのも9月末から10月の頭まで仕事の関係で山形の米沢市に滞在していた。出張のようなものだったのだがスケジュールが緩く、自由時間が結構あったので、空いた時間に散歩魂を発動させ何日かに分けて米沢市を歩き回った。

 

 

元々、記事化するつもりはなかったのでGPSログも取らず、本当に気の向くままに歩いていたのだが、歩き回ってみて、徐々に街の魅力を感じて来てこれはぜひ記事にしたい!とアップすることにした次第。

 

 

なので写真多め。

個人的な旅の思い出的な記事になってしまいそうなので写真を流し見してもらい、「米沢市ってまぁいいとこっぽいじゃん?」という気持ちを1ミリでも持っていただけたら……!

おれの勝ち。ということで!

 

 

GPSログを取っていなかったので予めロケーション情報を。

このシリーズの写真は主に米沢市の下図赤丸の範囲の写真になっている。極狭い範囲だ。

 

 

ところで米沢のなにがよかったかというと。

城下町の名残を維持した街の造り、と言えばいいのかな。

 

 

街全体がありし日の米沢藩、また上杉家をリスペクトしてるってゆーか?(チャラい

 

※まず遠方に訪れた際のお約束であるが……米沢市玄関口の米沢駅。駅舎はトップ写真の旧米沢高等工業学校を模している

 

※米沢駅東西自由通路から。駅からの眺めとしてありがちな構図だが、天気も相まって全体的に重い雰囲気が気に入っている

 

※東口出口階段。パチ屋の広告かと思ったぜ笑

 

駅の写真が続いたが、ここから散歩の写真。

 

※何気ない道だが忙しい、という言葉を忘れられそうな雰囲気だ

 

※このレンガの煙突みたいな塔は明治に作られた常夜灯だそう

 

※灰色が似合う街並み

 

※趣を感じる建物。建築資材を扱う地場のお店のようだ

 

※この……なんていうの、大河ドラマとか水戸黄門に出てきそうな雰囲気の建物。長屋?

 

 

※高い建物が少ないので空と山が良く見渡せる

 

※都内であれば「老舗」、と呼ばれそうなお店がそこかしこに

 

※街灯のデザインも素敵

 

 

民家も都内であれば立ち止まってしまいそうな年月を感じるものがそこかしこにある。そして……

 

 

 

茅葺屋根発見!

考古学博物館以外で初めて見た。すげー

 

 

と、米沢市は街全体が自主的に古き良き建築物や旧来の様相を維持しようとしている意思をひしひしと感じる。とってつけた部分的な保護や懐古オマージュでは無く、主体性を感じるのだ。それが散歩をしていて魅力に思った点である。

 

 

ここまで市内の写真がメインだったがちゃんと観光地も行ってきたので続きは次回!

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

※白と緑と青が良い比率。山梨県では南を向けば大体は富士山が居る

 

 

信玄橋を渡る散歩その2。

 

 

この記事は一回で終わる予定だったが、その1にあたる前回の記事で散歩に関係無い話題をだらだらと書き連ねてしまったためその2が出来てしまった。ただでさえ短い散歩とも言えぬこの遊歩、今回の記事で完結させたいと思う。

 

 

では前回の続き。

 

※前回の記事は以下から♪

【山梨散歩】信玄橋を渡る散歩

https://ameblo.jp/rossy-rossy-rossy/entry-12766739174.html

 

 

国道20号を逸れて細い坂道を下ると、信玄堤(シンゲンヅツミ)公園の標識が見えてくる。

 

 

歴史に明るい皆には釈迦に説法ではあるが、ここで信玄堤の簡単な説明を(社会科が苦手だった人は読み飛ばしてくれ)。

 

------------------------------------

「信玄堤」とは、武田信玄が領内の水害対策のために河川に施した治水遺構の一つである。一つ、と記したのは堤防以外にも信玄の工事と伝わる遺構があり、急流の水路を分かつ”将棋頭”や水流を弱める”聖牛”などがある。これらを含めて「信玄堤」と呼ぶ場合もある。

 

日本三大急流の一つ、富士川水系を擁す甲斐国は大雨による河川の氾濫が古来より発生しており、時代ごとでの統治者や有力者による治水工事の記録が残っているが、その中でも大名領国制により、自国の石高の確保や領民の統治に治水事業が不可欠となった武田信玄は、治水工事に莫大な資金・労力を割き、結果、富士川上流の暴れ川である御勅使川や釜無川、笛吹川の氾濫を減少させることに成功し、甲州流治水法は全国に広まった。

------------------------------------

 

上記説明を書くために改めて信玄堤のことを調べてみたが、現代でも利用されている治水技術の基礎を作った部分もあるそうで、少し驚いた。治水技術とか、そういう仕事に関わってないと全く知らないよね。

 

 

地元民でありながら恥ずかしいことに「信玄堤」=「河原」=「バーベキューをするところ」という認識だった。

 

これはいかん。地元の誇れることに目を向けなければ。

(あ、VF甲府天皇杯優勝おめでとう!)

 

 

信玄堤公園の向かいにはさわやかな色の屋根が付いた神社がある。

 

 

ふむ、やはり水害にまつわる神社だそうだ。

 

 

神社をチラ見した後、くだんの信玄堤へ。

 

 

堤防というかただの階段にしか見えないが、ここら辺が堤防化された跡地である。そして釜無川。

 

河原にある木をななめに組み合わせたようなものが”聖牛”を復元したものである。これを牛に見立てていたそうだ。。パソコンもスマホも無い当時の人達は、きっとおれらの万倍、想像力が豊かであったのだろう。

 

 

信玄堤の眺めを堪能したところで実家に帰るため信玄橋へ向かう。

 

 

自然豊か。

今回の記事は青緑白が多めだ。

 

 

近づく信玄橋。

 

 

信玄橋到着!

 

 

初代信玄橋は昭和7年に建設され、昭和41年に修復工事がされた(二代目)。さらにその後、平成4年に老朽化や大型車両の往来などの増加に対応するため、これまでの場所からやや北部に現在のシン・信玄橋(三代目)が建設された。

 

 

二代目の橋が現役のころに我々一家は南アルプス市(旧八田村)に引っ越したので、今の信玄橋とは違う、武骨なコンクリート造りで灰色一色だった信玄橋二代目をよく覚えている。歩道が急に幅員減少していたり、大型トラックが通ると橋がガタガタと振動したりとなかなかスリルを味わえた橋だった笑

 

 

今やこんな綺麗な橋に。今さらながらちょっと感慨深い。

 

 

でも眺めは変わらない。橋からの遠景はどこも山々だ。

 

 

すこーしノスタルジックな気持ちに浸りつつ歩いていると、甲斐市から南アルプス市側に辿り着いていた。

 

 

釜無川の標識だが……なぜ平仮名なのだろう。

8歳の時からの疑問だ(嘘

 

 

 

釜無川を渡り南アルプス市(旧八田村)のエリアに入った。

実家まで間もなくだ。

 

 

ローカルな県道を真っすぐ歩いてゆく。

 

 

消防団事務所の火の見櫓。

地方では消防団に入る、入らないが社会生活の死活問題になることがあるとまことしやかに嘯かれているが、地元に残っている知人からの話を聴くに、南アルプス市はそこまで過酷なものではないようだ。

 

 

山梨の地域スーパー、オギノキャロット。

 

 

万が一オギノを知らない山梨県民がいたら、そいつはモグリである。

 

 

せっかくなのでオギノに寄って買い物をしつつ(晩飯のおかず)、家に帰ります。

 

 

県道から逸れて脇道へ。

もう実家は目と鼻の先。

 

 

煌々と光る明かりはファミリーマート。

商業施設は数えるほどしかない。しかし、東京から実家に帰ってその鄙びた様子を見ると、癒される部分はある。

 

 

人は所詮ないものねだり。

都会に住んでいる人は田舎に憧れ、田舎に住んでいる人は都会に憧れ。それはその通りだと思うが。

 

 

しかし田舎に住んでいて都会にも一定期間住んでいた人が、どっちのほうが良いと思うか。

 

 

おれはいまのところ東京の生活が楽しいな。

 

 

そんなことを自覚した地元の散歩だった!

 

 

短いけど全ルート。

 

 

直角に移動しただけだ笑

最後までお読みいただきありがとうございました!

※現在進行形で山梨で一番の有名人である武田信玄。その名を冠する橋があることくらいが我が地元唯一のストロングポイント也

 

 

前回記事の予告通り、今回は東京から離れて、甲州は甲斐ノ国、山梨の散歩記事。


例によって帰省した際のプチ散歩……というか散歩というほど距離を歩いていないので遊歩という方が適切か。


さて、スタートはここ。




「S」の記号が現在地。
しかし地元の人以外には全く不明な場所と思うので地図の縮尺を下げてみよう。

 




これでもあまり分からないか。。
 

 

山梨県の県庁所在地である甲府の西隣に甲斐市という市がある。今回はその甲斐市の西端から、隣接する南アルプス市の実家付近までの道中記となる。



ちなみに、山梨県には旧国名である「甲斐市」の他に旧国名"別称"である「甲州市」、そして県のセントラルを主張する「中央市」、さらには県名をそのまま市名に拝借した「山梨市」と、いずれも県庁所在地を思わせぶりな市名が多い。県を代表する市だぞ、という主張をビシバシと感じる。


それに比して、我が地元の南アルプス市。

 

 

ある意味、スケールだけはすごい。山梨という枠に収まる気は無いようで、山梨に加え長野、静岡と3県に跨る日本を代表する山脈の名を市名にしてしまった。

 

 

確かに、南アルプスの中心的な山である白峰三山、さらにその中でも最高の標高を誇る北岳は住所的には南アルプス市にある。

 

 

だが、その位置は南アルプス市合併前の旧芦安村の村域のみであり、それ以外の町村出身者からするとあまりピンと来ない。

(現におれは地元で過ごした小中高と、「南アルプス」という単語を発した記憶は一度も無い)

 

 

しかしながら……である。
片仮名混じりの奇抜な、そして少々言ったもの勝ち的なこの市名は、ある意味、甲斐市や中央市より知名度を得たような気がする。

 

 

まぁ知名度だけ得ても意味が無く、それが実入りに繋がるかどうかが自治体としては大切だと思うが。

 

 

話が逸れたが、そんな南アルプス市に向かって甲斐市から歩いて行く。

 

 

国道20号線。地元名称は甲府バイパス。

この道をずーーーっと辿っていくと新宿南口の甲州街道に辿り着く。

 

 

同じ道でも新宿とは明らかに違う風景だ。

田舎にありがちな国道の様子だが、MT.Fujiの存在感はなかなかである。

 

 

31(サーティワン)というバッティングセンター。アイス屋ではない。何を隠そうおれは小、中学生と野球少年だったのでたまにチャリンコで通っていた。

 

 

ネットの上方部に「ホームラン」と書いてある小さなボードがあり、そこに打球を当てると「パンパカパーン」とパチンコの大当たりのような愉快な音が鳴り、景品を貰える仕組みになっていた。商品はプロ選手のサイン入りボールやバット、ユニフォームなどで当時はかなり本気で欲しかったが、残念ながらただの一度もホームランに当てたことはない。。枠が小さいんだっ!

 

 

いつしか自力で景品を貰うことは無理だと思い始め、たまたまホームランボードに当てた大人の人が景品を受け取るとき、わざと近くに行って「へー、スポーツ少年団で野球をやっているんだね。よし、わかった!この原辰徳のサインボールは君にあげよう!その代わり、しっかり練習を頑張るんだぞ!」というラッキーなことが起きないかと浅ましいことを何度かしていた。あー、なんという残念な少年だ。おかげで野球はあまり上手くならず、中学までで辞めてしまったのである。

 

 

懐かしさもありあの時の感情を思いだしてしまったが、今も31が営業しているようで何よりだ。

 

 

31の反対側にはクレーン車の駐車地帯がある。

うーん、昔はこんなのあったかな?

 

 

クレーン車の駐車場の隣には激シブなスナック。

その名も「紫陽花」。

 

 

特殊車両を運転し終えたドライバー達の憩いの場なのだろうか。

いずれにせよ、店前の草花は綺麗に手入れがされており、こちらもまだまだ現役のようだ。

 

 

紫陽花を通り過ぎ少し進んだところで国道から外れ脇道に入る。

 

 

左の古ぼけた建物はラブホである。ローカル感が漂う。

 

この脇道から一級水系である釜無川河川敷に出るのだが、地元記事ゆえ饒舌になり文量が多くなったので今日はここまで!

 

 

次回、歴史の勉強にもなる武田信玄の水害対策について(嘘)。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

※新たな観光スポットになりつつある(らしい)クロス新宿ビジョンの3Dネコ。くっ、こんな分かり易いものに眼を持っていかれてたまるk……うーん、まぁ悪くないな、よし、一枚撮っておこう。の結果の写真

 

 

中野から“東”を目指す散歩、最終回!

前回記事にも書いたがタイトルで西へと記載しているのは完全にミスなのでどうかスルーしてたもれ。何卒、何卒。

 

 

さて、散歩の続き。

 

 

確実に住宅街生まれ住宅街育ちの人慣れが過ぎるハトを通り過ぎ、歩を進めていくと神田川にぶつかった。

 

 

そのまま川沿いの歩道に入る。緑々しい光景だ。

 

 

 

しばし神田川沿いに歩いていく。

 

 

ところで京王線付近を歩いているとまずまずの頻度でこの神田川に出くわす。

 

 

上京するまでは神田川と言えばかぐや姫の「神田川」であり、曲で歌われているように、3畳一間のアパートの傍らに相応しい、さぞ奥ゆかしい小川なのだろうと勝手に想像していたのだが、この写真のようなコンクリート護岸ガチガチの神田川を見た時は意外な気持ちになった。

 

 

時代の移り変わりと共に神田川も姿を変えていくのだろう。

 

 

川沿いを歩いていくと淀橋に出た(シリーズ1回目の記事のトップ写真)。

 

 

淀橋から東に向かうとY字に道が分岐する。

 

 

南側の道に行くと新宿駅に直ぐに辿り着いてしまいそうなので少しでも遠回りをすべく北の道をチョイス。

 

 

新宿駅近隣の道だが、非常にのどかな場所である。

と思いきや……

 

 

既に高層ビル群のテリトリーに入っていたようだ。

 

 

 

小滝橋通りを通過。ここらへんから通りの名が職安通りとなる。

コリアンタウンである大久保と、繁華街歌舞伎町を隔てるエキサイティングでスパイシーな通りだ。

 

 

コクーンタワーも顔を覗かせています。

 

 

中央線のガードを潜る。

ガード下、って怪しい魅力のある言葉よね。

 

 

そして歌舞伎町の裏側に到着。

 

 

時間的、体力的にはまだまだ散策可能であったが相も変わらずスマホのバッテリーがピーピーのため着地は新宿にすることに。

 

 

というわけで歌舞伎町の真ん中を突っ切っていく。

 

 

なんやら高級そうなお車がホテル入り口に横付けされていた。

怖いのでナンバーはしっかりマスク!

 

 

この広いスペースは歌舞伎町の北西にある「大久保公園」。

 

住所は歌舞伎町だが大久保の名称になっている。

この公園は喫煙所がありスモーカーにはありがたい。

都内の「公園」と呼ばれる施設は殆どが禁煙だと思うが、喫煙所がしっかり付設されているのは土地柄だろう。

 

 

一服して鋭気を養ったところでラストスパート。

 

 

歌舞伎町二郎ちゃん。

一瞬、ほんの一瞬「久しぶりに食うか?」という考えがよぎったが、自分の年齢を思い出しやめておく。

 

 

 

歌舞伎町のセントラルを通過。

 

 

この散歩は7月に行ったものだが、第七波のピーク真っただ中だったこともあってか、休日だが人出は少ない。

 

 

 

それでも怪しいエネルギーは健在の街であった。

 

 

そして……

 

 

新宿駅に到着!!

 

全道程。

 

 

距離の割に見どころの多い、良い散歩だった。

 

しかし記事更新に間が空いてしまったことは反省だ。

転職のバタバタも落ち着いてきたのでもう少しリアルタイムに書くぜ。

 

 

次回は久しぶりに東京以外の散歩記事の予定!

 

 

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。