※いつぞやの雪の日の大塚三業通り。寒々しい天気だがホルモン屋の看板と明かりが天気に負けない都会の熱を感じさせる

 

いつも通り本題と関係ない写真を掲載したところで。

去年の記事だが、車の運転の技量について言及をした。

近況 | 東京のリアルな魅力を紹介します (ameblo.jp)


>■専用社用車を買ってもらった

のセンテンスのところである。
あれから時は経ち、専用社用車での通勤や現場への移動をするようになり、あと2~3か月で都内の車社会にデビューして1年となる。

さすがに毎日の通勤経路や行き慣れた現場や客先などへの運転は欠伸しながら出来るようになったが、新規の行先はまだまだ手に汗握る。

ただ、この1年で「なぜ手に汗握るのか?」はかなり分析が出来るようになり、つまるところ道を知っているか否か、がおれにとって大きな問題だと自分の中で着地した。

それと、これも記事で書いた通り、車の運転の上手い、下手の尺度は基本的な操作とか、交通ルールの理解とかは前提としてあるけれど、それらが一定の水準に達したらあとは絶対的な物差しはなく人に寄る、という類のことを感じていたものが運転経験が増えるにつれて確信に近くなってきた。

残念ではあるが、おれより運転経験のある先輩からの「速く到着すること」をのみ最優先とした、およそ総合的な車の運転のアドバイスとは思えぬ指摘はまだ稀に発生しており、表面上受け入れるフリをしつつ、いつしか行動としては無視をすることにした。

おれも、早く到着することを優先するドライバーであれば別だが、業務上の運転で万が一にも億が一にも兆が一にも死にたくはないので安全運転に8割、早期到着については2割程度の塩梅で運転することを決めた。

運転の技量の要素となることってすごく沢山あると思う。

・車を思い通りに動かせる操作力
・車の利便性を発揮させるための速さ
・安全性
・道交法違反にならないためのルールの理解と遵守
・自分以外の交通に迷惑をかけない社会性

これ以外にも沢山あると思うんだけど、
要素の中に相反するものもあって、例えば車幅感覚抜群でミリ単位で他の車に寄せられる腕があっても、普通の車道でミリ単位で寄せられて追い抜かれた相手側は恐怖でしかない。車幅感覚がバグっている奴、という評価になる。

要は必要性と能力の発露のタイミングと個人の事情の話で、これが狭い相互通行の山道でカチ合ってしまい、すり抜けられるか片方が確信が無かった時に、「大丈夫です、おれがすり抜けますので停まっててください」と言われて見事ミリ単位でぶつからずにすり抜けたらその見定めとそれを遂行する操作力は素晴らしい技量となるわけよね(一応補足すると、万一車両をこすってしまい保険適応になる場合に、停まっていた側は過失がない、と原則なるので『停まってて』と言うのも素敵)。

あるいは、運転経験豊富で社会性もあるドライバーが運悪くネズミ捕りとか一停で切符切られて「あと一点で免停」とかなった場合、そのドライバーの優先順位は「違反しない」がMAXになるわけで。

そんなドライバーが法定速度を殊更気にしながら走ってて、後ろから免許取りたての小僧が飛ばしながら「前の車おっせーなー下手くそが」とか思う構図も発生するわけで。

明らかに操作が未熟とかルールを逸脱している以外で下手くそと決めつけるやつは相当狭い視野の中で評価をしていると思う。

この考えは間違っていないと思うけど、ただし!おれ自身、操作性や道交法の理解や道を知っているかは自信を持って高い水準と言えるわけではないことは自覚している。

技量が無い人が理不尽に対して物申して悪いということはない、という理解はあるが説得力という点においては心許ないということも
同時に理解をしているのでおれは所謂運転が上手い、と一般的に評される要素も腕を磨いて、その上で間違った上手さをひけらかす人に突っ込んでやろうと決めた。

今年のおれの興味関心は運転だ!

まずは都内の道路をマスターするため、ここのところ週末に首都高の周回をしている。深夜ドライブだ。景色も良くて道も空いてて楽しい。

C2の内回り、外回りは走破したので今度はC1を絡めたルートを模索する。

ということで散歩系ブログからドライビングブログに様相を変えそうな予感がある当アカウントですがどうぞ今後もご贔屓に。