※ニラモツあんかけラーメン。大塚で開拓した中華屋。つまみにもシめにもいける優れものの一杯だ

 

 

転職を経て引っ越しをした関係で、休日に何かしらの事務的な用事が入っていることが続いており、ここのところ全く散歩に行けていない。


本来なら早々に引っ越してきた大塚を練り歩き、南口のサンモール商店街やのれん街の味わい深い様子や北口の再開発の様子だったりいかがわしい通りなどを色々記事にしたいところなのだが、まぁ今は時期が悪い。


年が明けたら本腰入れて散策を再開することにしよう。


ということで散歩再開までのしばしの間、雑文的な記事を書いていくことにする!年明けくらいまでかな?よろしく!


転職をして、仕事で車の運転をするようになった。


免許は二十歳の時に取ったが、専ら運転は地元(山梨)でしかしておらず、都内の道はほぼ初心者だったので慣れるのに悪戦苦闘している。


ちょっと都内のドライバーさんに言いたいんですけどね!


東京の道路、路駐多すぎじゃない?!(驚
路線バスとかタクシーとか、営業ありきで道路の流れとは別の動きする車両も多いしさ(怒
極めつけは通行区分指定の車線の多さよ。自分が進みたい方向に行けないことがしばしば(泣


片側一車線の果樹園広がる山梨の道路が愛おしいわ!


しかし仕事だからしょうがない。


見てろ、
東京の道路に慣れてきたら、運転が覚束ないやつを見つけては片っ端から華麗に道を譲ってやるからな。未来のペーパードライバー達よ。待っていてくれ。


そんな感じでドキドキしながら日々運転をしているので教習所に通っていたときのことを思い出した。


「愚者同士が出会うと事故が起こる」


学科教本に書いてあった言葉である。


解説には、
「自分勝手な運転をしている人(愚者)がいたとしても、他方が注意を払っていれば危険を未然に防ぎ事故を防ぐことが出来る。 ただし、自分勝手同士が出会ってしまうとお互い危険を顧みず、結果、交通事故に繋がる可能性が高くなってしまう」
というようなことが書いてあったと記憶している。


これは運転に限らず、人とのコミュニケーションにあてはめても同じことだなとふと考えた。


一方が自分勝手なコミュニケーションを押し付けても対する人が、進みたい方向に合わせてフォローしてあげたりどっちに進みたいか質問したり、進みたい方向に進めるように言葉を足したり、進むまで我慢したりすることでコミュニケーションは一応成り立つ。


ただ、残念なことにコミュニケーション上のペーパードライバーは車の運転と違って「相手が譲ってくれた」「待っててくれた」「合わせてくれた」などの相手の配慮に気付かないことが多いのではないかと思う。目に見えない配慮だから。


車の運転と違ってコミュニケーションの場合、社会的なやんごとなき事情さえなければ譲りたくない相手には意図的に事故を起こすことも出来る。事故を起こして、相手にシグナルを送ることも出来る。


生命に直結しないからといって、コミュニケーションを手なりでやっているといつか痛い目にあうかもしれない。
運転もコミュニケーションも、自分の技量、相手の技量をしっかり把握して適切に行おうと思いながら、今日も川越街道をプルプルと走ってきたのである。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!