※現在進行形で山梨で一番の有名人である武田信玄。その名を冠する橋があることくらいが我が地元唯一のストロングポイント也

 

 

前回記事の予告通り、今回は東京から離れて、甲州は甲斐ノ国、山梨の散歩記事。


例によって帰省した際のプチ散歩……というか散歩というほど距離を歩いていないので遊歩という方が適切か。


さて、スタートはここ。




「S」の記号が現在地。
しかし地元の人以外には全く不明な場所と思うので地図の縮尺を下げてみよう。

 




これでもあまり分からないか。。
 

 

山梨県の県庁所在地である甲府の西隣に甲斐市という市がある。今回はその甲斐市の西端から、隣接する南アルプス市の実家付近までの道中記となる。



ちなみに、山梨県には旧国名である「甲斐市」の他に旧国名"別称"である「甲州市」、そして県のセントラルを主張する「中央市」、さらには県名をそのまま市名に拝借した「山梨市」と、いずれも県庁所在地を思わせぶりな市名が多い。県を代表する市だぞ、という主張をビシバシと感じる。


それに比して、我が地元の南アルプス市。

 

 

ある意味、スケールだけはすごい。山梨という枠に収まる気は無いようで、山梨に加え長野、静岡と3県に跨る日本を代表する山脈の名を市名にしてしまった。

 

 

確かに、南アルプスの中心的な山である白峰三山、さらにその中でも最高の標高を誇る北岳は住所的には南アルプス市にある。

 

 

だが、その位置は南アルプス市合併前の旧芦安村の村域のみであり、それ以外の町村出身者からするとあまりピンと来ない。

(現におれは地元で過ごした小中高と、「南アルプス」という単語を発した記憶は一度も無い)

 

 

しかしながら……である。
片仮名混じりの奇抜な、そして少々言ったもの勝ち的なこの市名は、ある意味、甲斐市や中央市より知名度を得たような気がする。

 

 

まぁ知名度だけ得ても意味が無く、それが実入りに繋がるかどうかが自治体としては大切だと思うが。

 

 

話が逸れたが、そんな南アルプス市に向かって甲斐市から歩いて行く。

 

 

国道20号線。地元名称は甲府バイパス。

この道をずーーーっと辿っていくと新宿南口の甲州街道に辿り着く。

 

 

同じ道でも新宿とは明らかに違う風景だ。

田舎にありがちな国道の様子だが、MT.Fujiの存在感はなかなかである。

 

 

31(サーティワン)というバッティングセンター。アイス屋ではない。何を隠そうおれは小、中学生と野球少年だったのでたまにチャリンコで通っていた。

 

 

ネットの上方部に「ホームラン」と書いてある小さなボードがあり、そこに打球を当てると「パンパカパーン」とパチンコの大当たりのような愉快な音が鳴り、景品を貰える仕組みになっていた。商品はプロ選手のサイン入りボールやバット、ユニフォームなどで当時はかなり本気で欲しかったが、残念ながらただの一度もホームランに当てたことはない。。枠が小さいんだっ!

 

 

いつしか自力で景品を貰うことは無理だと思い始め、たまたまホームランボードに当てた大人の人が景品を受け取るとき、わざと近くに行って「へー、スポーツ少年団で野球をやっているんだね。よし、わかった!この原辰徳のサインボールは君にあげよう!その代わり、しっかり練習を頑張るんだぞ!」というラッキーなことが起きないかと浅ましいことを何度かしていた。あー、なんという残念な少年だ。おかげで野球はあまり上手くならず、中学までで辞めてしまったのである。

 

 

懐かしさもありあの時の感情を思いだしてしまったが、今も31が営業しているようで何よりだ。

 

 

31の反対側にはクレーン車の駐車地帯がある。

うーん、昔はこんなのあったかな?

 

 

クレーン車の駐車場の隣には激シブなスナック。

その名も「紫陽花」。

 

 

特殊車両を運転し終えたドライバー達の憩いの場なのだろうか。

いずれにせよ、店前の草花は綺麗に手入れがされており、こちらもまだまだ現役のようだ。

 

 

紫陽花を通り過ぎ少し進んだところで国道から外れ脇道に入る。

 

 

左の古ぼけた建物はラブホである。ローカル感が漂う。

 

この脇道から一級水系である釜無川河川敷に出るのだが、地元記事ゆえ饒舌になり文量が多くなったので今日はここまで!

 

 

次回、歴史の勉強にもなる武田信玄の水害対策について(嘘)。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!