私は昭和55年生まれの現在40歳3カ月





家族性大腸ポリポーシスと発覚して
→11年目(2009.5.12)





デスモイド腫瘍が腸管膜にできて
→7年目(2013.3.28)





1度目の開腹手術から
→7年目(2013.4.25)





2度目の開腹手術から
→6年目(2014.5.8)





抗がん剤(ヴォトリエント)治療開始から
→5年目(2015.4.10)










私の父が会社の健康診断で

大腸に異常があると発覚したのが

今の私と同じ歳の40歳の時だ









父は自分の母親や兄が


家族性大腸ポリポーシスだと
(発覚時は大腸癌で大腸全摘出)


50%の確率で遺伝する病気なのだと





わかっていたのに…
知っていたのに…





40歳まで何1つ検査をしてこなかった










もっと早くに検査をしていたら…










もしかしたら父の人生は
違っていたのではないか







いまだ父の死を
諦めきれない思いがある中
父の死から20年が経ち

40歳になった今

心の整理とともに
闘病記録を残しておこうと
決心した










1989年40歳 会社の健康診断で貧血結果


     →大腸内視鏡検査で1000個以上の
      ポリープが見つかる


①開腹手術→開腹手術で大腸全摘出






ーーー 主治医より ーーー






1000個以上のポリープがあったから
何か症状があったはず



父→自覚症状なし/下痢なし/出血なし





1991年(大腸全摘出2年後)


     →腸閉塞で入院


1993年(更に2年後)


     →腸閉塞で入院


1995年    腸閉塞で入院



腸閉塞になる前から
腹部に違和感を抱く


腹痛が常にあり


CT検査で「何かがある」と診断される





②開腹手術→開腹でデスモイド腫瘍見つかる
   デスモイド腫瘍
      小腸20-30㎝切り取る









ーーー 主治医より ーーー









開けてみないと、わからなかったが
デスモイド腫瘍ができていた


取れる所は取ったが
デスモイド腫瘍を全て
取り切る事はできなかった






(数えきれない程の腸閉塞が起こる)






1997年 小腸に穴があく


  →連日40℃の高熱と痙攣が続き入院


腹腔鏡手術で小腸の穴を塞ぐ


→小腸にあいた穴から食べカス等が
 内臓内に漏れ炎症が起きていた



1998年 腹痛が常に起きる
    肝臓、腎臓機能の低下





③開腹手術→デスモイド腫瘍の増大により
  摘出不可の為インオペ


腎臓がデスモイド腫瘍で
押し潰され片方は機能停止


もう片方も押し潰されていたが
ステントを入れる事に成功する








腹痛の原因





デスモイド腫瘍が内臓内で
大きく成長をし圧迫による
痛みが出ていた






1999年12月 自宅で生活


私の成人式の前撮りを家族3人で撮る
少しは食べ物を食べれる
紅白歌合戦を観れた事に喜んでいた


















2000年1月後半 腹痛が襲う


デスモイド腫瘍で内臓機能停止


2000年2月 自宅で24時間点滴生活


→これ以上の治療法がないと
     病院から見捨てられ追い出される


2000年7月 胃瘻造設
      

→水分を飲めるようにする

(飲み物だけでも喉で味わいたい)


2000年9月 入院


2001年1月 51歳 ーーー永眠ーーー







最終死因



窒息死







亡くなる2.3年前からは
1年の半分は入院生活










亡くなる10日間前から

担当医が私達家族の反対を押し切り

精神科で使用される

強い安定剤を父に投薬し

それから一切、目が覚めなくなった






「お父さん、おはよう」






と声をかけると

“ニコ”っと反応があったのが

その日を境に見れなくなった










そして二度と…

永遠に…

話す事ができなくなった










昏睡状態が続いた










ずっとずっと昏睡状態で

全く何の反応もなかった父が

亡くなる前日の20時頃

面会時間終了の為

帰ろうとした母が

あまりの苦しさに耐えてる

父に話をした










「ともちゃん…苦しいね、つらいね

私はいつもここにいるからね

今日は帰るけど、また明日来るからね」










昏睡状態の父が…








目が覚めず反応のなかった父が…







母に










「苦しい」










と言った








 

それが最後の言葉だった









その12時間後に父は亡くなった










私は父の亡くなる時刻に

突然、右耳が熱くなり

耳鳴りがした










その後に病院からの電話で

父が亡くなった事を知った










きっと父からの

メッセージだったのだろう





















大好きだよ、お父さん