高砂さんの写真展を眺めていると…


学ランにリュックを背負い、肩からカメラを提げた少年(おそらく中学生)が入ってきた。


こんな若い子が、銀座のギャラリーを訪れること自体に感動した。(ギャラリーの立地もビミョーにわかりずらかったし)

親御さんの影響なのだろうか?

感性と行動力ワンダホー




作品をバックにして高砂さんとツーショット撮影。
なんかいい雰囲気。


帰りのエレベーター

少年と一緒になった。

話しかけてみた。

「写真、撮られるんですか?」

「はい😊」

「高砂さんはデジカメが登場する前から写真を撮られてて、デジカメ前から撮影されてる方が、50代60代で活動されてるから」

「デジカメ前から撮影されてる方の一瞬に対する集中力って、全然違うから、そういう方の写真、今のうちにたくさんみてね」

「はい😊」

素直そうなキラキラした表情で反応してくれた少年。

「学校に暗室があって、デジタルとフィルム写真と、両方できるんです😊」

「えー!それいいねー!
フィルム写真て、仕上がり違うよねー」

「はい😊」



「次はあなたの写真展で会いましょう」

と言って道の左右に分かれた。




いつかまた会えたら嬉しいな。







高砂淳二さんは
水中写真の世界では知らない人はいない。
私がダイバーになりたての20代の頃、様々な誌面に作品を提供されていた。

ダイビング雑誌の1ページ自体がart作品として成立するような
美しさ
迫力
生き物の愛らしさ
躍動感
満ち溢れていた。

まだデジタルカメラか登場する前。





写真家達は「その一瞬」に挑み続けていた。




…一般のカメラ愛好家も同じ。
自宅に暗室でもなければ、撮影したものをすぐには確認できず、
「撮影したフィルムを現像する」という過程というかタイムラグを経て自分の撮影した作品を確認するのが常だった。



物心つく頃からデジカメや写メとかスマホがある10代の子に、この話をしたら、すんごい昔の人扱いされたけど、そんなに昔でもない(…よね?💧)



まだ「カメラ女子」なんてカテゴリーもなく、
写真教室に行くと、ほとんど男性で、自分のカメラの話とか撮影ポイントの話とか、「立ち入れなさ」と「立ち入る必要ないな」が裏と表になってヒラヒラ踊るような心境になった。

デジカメが登場して、
ノートパソコンとプリンター購入して
自分でハガキを作ったりして…

そのうち、仕事を辞めて生活が変わり、カメラを手に街に出ることもなくなった。

そして今は、スマホ片手に気ままに撮影するだけになったが…




話を高砂さんに戻そう。

時を経て、水中のみならず、世界中の風景や自然現象を被写体にしておられる。




今回、
という写真展が銀座のギャラリーで開催されていると、終了数日前に知り、時間が取れたので出かけてみた。




カメラの機能ではなく、写真家の経験と勘と感性が織り成す世界が、そこにはあった。

すごくシンプルな世界。




誰もがキレイな写真を撮影できて
誰もが「いいね」をたくさんもらえるようになったけど、



撮影者の「その一瞬に対する集中力」は、写真に乗り移る。

「何のために撮影しているのか」は言葉ではなく、作品から溢れ出てくる。




そんなことを改めて感じた。
似たような構図で撮影したとしても
違うのだろう。



私の大好きな写真家の方が、
座右の銘として
「写真は心を写すもの」と仰っているけど、
ホントそうだなって思う。





以前に高砂さんの写真展で、写真集を購入し、お話したことがある。



自分の感じていることを何か伝えたいと思い、搾り出した言葉は

「海に潜るようになって、海だけじゃなく、地球って単位で考えるようになりました。今日、また、そのことを想い出しました」



「ボクもそう思います」

穏やかな笑みを含んで高砂さんは仰った。

その時と同じ
寸分違わない高砂さんの想いがこもった写真たち。



「一瞬に対する集中力」とは
被写体に対する想いにエゴ(承認欲求とも言う)がないということなのかもしれない。



キレイな写真
上手な写真が氾濫する現代
「いい写真」の価値観も基準も様々




私が思う「いい写真」は
「一瞬に対する集中力」が感じられる写真らしいと気づくことができた。




自分もそうありたい。










私がダイビング目的で沖縄に通うようになったのは、もう20年以上前。




正面切って何かを言われた・見たことはないけれど、いわゆる観光客に対しての「距離感」がまだまだ感じられた。




それが何を意味していたかは、わかっていたので、だからこそ、知っておくべきと本を読み、テレビで特集があれば見るようにした。




ごくごく初期に読んだ本。








人として大切なことは
いつも沖縄から教わった。