清志郎〜 | 開かずの間

開かずの間

日本を愛する日本人の部屋

と、いうことで、日付変わって昨日は清志郎の命日でした。

ついうたた寝して目が覚めたら、
ちょうど清志郎の追悼番組をやっていました。
病気発覚後、最初の復活をした時のライブ映像があって
懐かしいなあと思いつつ、彼の当時のスタッフさんを思い出しました。


初めて彼の病気が発表された時に、
すぐに清志郎のサイト『地味変』から励ましのメッセージを送ったんです。
送りっぱなしのつもりでいたんですが、
驚いた事に、数日後、スタッフさんから丁寧に返信を頂いたんです。
自動返信や定型文ではなく、個別に打って下さったものでした。
私の文面に沿った内容に対してのコメントを添えた、お礼の返信だったのです。


それが、
読んでいるだけでスタッフさんの泣きそうな心情が伝わってくる内容でしてね、
本当に清志郎を愛している方なんだなあと感じたものです。
きっと、支えている周囲の方達も藁にもすがりたいような
そんな不安な心境で闘病を見守っているんだと感じるメールでした。
とてもいいスタッフさん達に囲まれていたんだと。


同時に、
まだ私が音楽関係の会社にいた当時にRCが所属してたレーベル(東芝EMI)の
プロモーターの事も思い出しました。
担当所属ミュージシャンの知識が無く、売りたいだけという空気を感じたのを憶えています。
まあね、たまたま異動で配属になってしまった、という所なんでしょうけど。
非売品の絵本付きCDを貰ったので良しとしてますが(笑)。
でも、あの頃『COVERS』が発売禁止になったり(これは後に発売)と
何かと清志郎は東芝EMIには不満が多くて歌にもしていますから、
納得できる部分はありましたね。


有名になるのは恐ろしいと感じる事があります。
『売れる』『売る』ということの恐ろしさ。
完全に商品として扱われてしまう場合の怖さ。
世間がイメージを作ってしまう場合の怖さ。


後半の清志郎が、とても良いスタッフに囲まれていたようなのは
良かったと感じます。


大好きな石井さんと結婚して、
始めは抵抗があった子供も、生まれてみるとあんなに大切にしていて
愛のある家庭に恵まれて、良い人生だったと感じる人の一人です。

あそこまで売れる前には、石井さんにお小遣いを貰ってたようですが(笑)
これは、清志郎の自伝(?)の『生卵』の中にかなり記されています。




『COVERS』収録。





この曲を聴く度に、パートナーにはこういう精神で沿わないといけないと感じます。