濾舟です。


無事大学を卒業し、現在は新社会人として勤務しております。

まだ研修中ではありますが……。

全然更新出来ていないため、研修の休憩中に考えてなんとか続けていかないとと思いつつ。


研修のお昼休みに何について書こうか考えつつ、いろいろな古典を見漁っていた。

そうしたら、一つの古典に目が着いた。


陸機の平復帖だ。

(北京故宮博物院蔵)



平復帖は草書の中でも、かなり初期の物に部類される。

私の周りでこの平復帖を臨書している人は見なかった。

平復帖について話をしたことも無かったような。

私自身、知っていて過去に何度か、なんとなく臨書したことがあるか、といった程度である。

少し臨書を拒んでいた原因としては、一番最初の「彦先」の2文字が摩滅しており、どう書けば良いかわからなかったからである。

(「彦先」は「全彦先」という人物名だそうだ)



しかし最近になって、現代の中国人がスラスラと書く章草は、この平復帖にかなり近いものだ、と気付いたのだ。

見てわかる通り、平復帖も卒意の書である。

しかし、ここまで卒意と洗練の融合がされている章草なのかと、見れば見るほど気付くことが多い。


そもそも平復帖とは?

陸機(261-303)の尺牘であり、友人たちの消息について述べたものである。


短鋒の剛毫筆を使用してるであるような起筆収筆、渇筆が散見される。


では同じ時代の索靖の書も見てみよう。



これは索靖(239-303)の月儀帖(拓本の色反転)である。

月儀帖は、時候に関する尺牘である。

これらを比較してみるとどうか。


月儀帖の方が少し固い、筆画を丁寧に書いているような印象を受ける。

横画の長さも月儀帖の方が長いようである。


横画が短いと何がわかるか。

縦に字を連ねてゆくので、書く速度が速くなると縦の運動が強くなり、横に振る時間が短くなる。

ということは、横画が短い分、書く速度が速いのだ。


こう比較してみると、運筆の速度が想像しやすいであろう。



そのようなことで頭がいっぱいになりながら研修を終えた。

家に帰ったら臨書しよう。

今日はそう思った1日であった。



東京国立博物館東洋館4階に展示されていた鶏血石。

本物を手に入れたいものだ。