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ロシマヤンのブログ

心理学の知識を元に、人間の生き方や社会のあり方について

自分なりにいろいろ考えていきたいと思っています。

感想など、コメントいただけると幸いです。

この構図で一番気になっているのは距離感です。

 

と前回説明したつもりだったのですが、自分で自分のブログ記事を読み返してみたロシマヤン、各自の内面性に触れているだけで距離感をちゃんと説明してないことに気がつきました。散文という名の適当文芸活動で恐縮です。

 

もう一度強調しますが、中央の二人は表情がうまくかみ合っていません。本来ギャングの襲撃を受け殺されそうなところを助けだされたのですから、安心したとたんに泣きだすような構図が中央に来るべきですが、まったくかみ合わない二人がここに表現されています。

 

先に述べた通りエレオノールの勝への愛情は悪の黒幕に埋め込まれたいびつなものですし、勝が甘えきれるだけの母性がエレオノールにはありません。また勝にはエレオノールの気持ちを理解し、受け入れ、さらに一人の男性として返すだけの自我がありません。

 

本来人間はその人の持っている内的な発達の可能性と、社会的な状況とのバランスを取りながら心理的に適応、発達していきます。ロシマヤンが存在証明やアイデンティティと呼ぶものこそ、その人が持つ本来の可能性です。エレオノールの場合は愛情豊かに過ごし心の底から子供たちや恋人と笑顔を分かち合うことなのですが、まだ自信のアイデンティティを自覚できていません。アイデンティティというよりもコンプレックスという形で表出されています。これはこの次回くらいにちゃんと説明します。

 

また勝についても、語りだすと長くなっちゃうのではしょりますが、いまはエレオノールの事情を何も知らないですし、母性に飲み込まれていて男らしい自分の態度や気持ちを持てない段階です。

 

そして勝の事情こそ知ってはいるものの、エレオノールについては何も知らずに戸惑う鳴海がそばにいて、さらに何も事情を知らない診療所の先生が一番安心した表情で離れているのです。

 

この場に一番似つかわしい表情の先生がもっとも小さく、戸惑いを浮かべる鳴海が二番目、まったくかみ合わない二人が一番大きく中央に描かれているこの構図、まさにこれ倒置表現なのです。本来あるべき自然な構図と真逆の配置によって、彼らの内面性のずれ、不一致が如実に表現されていると感じます。

 

そして「鳴海乱心」の会の本当の素晴らしさは真夜中のコンビニにおいて完結します。というわけで土日祝日、年末休暇、ロシマヤンの気まぐれ執筆にどうかご期待ください。