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ロシマヤンのブログ

心理学の知識を元に、人間の生き方や社会のあり方について

自分なりにいろいろ考えていきたいと思っています。

感想など、コメントいただけると幸いです。

勝 第4章 鳴海乱心

第4話といえる今回、ここまでのシリアスな展開と打って変わって幕間の小話で、急にコミカルな感じになります。ただ単なる幕間ではありません。ここで鳴海、勝、そしてエレオノールが一晩を共に過ごすのですが、3人にとって唯一の心の底から笑える体験を共有する日となります。もちろんコミックを最初に読んでいるときには気がつかなかったのですが、こうして読み返してみると、劇中の時間軸においてこの夜が大切な意味を持っていたんだなと感じるわけです。特に中盤以降、日本を離れてしまう鳴海はエレオノールと勝とまったく交流がなくなります。さらにご存知の方も多いでしょうが、鳴海は記憶障害を負い二人のことを忘れてしまいますからね。たった一晩だけ、ほんの幕間、それが3人の大切な結びつきであり、さらにはこの物語の重要な二人の兄弟と一人の女性を象徴していたんですね。

プルチネラ戦の後

愉快な阿柴花さんを撃退してほっと一息です。まずここで注目したいのは勝に駆け寄り無事を確かめ抱きしめるシーンです。

 

おぼっちゃま、ご無事でしたか?!

 

と過保護っぷりを発揮します。この時の勝とエレオノール、鳴海と病院の先生の表情の差というか4人の表情の構成がとてもうまいのです。

 

 

まずエレオノールの表情は、たとえば小さな子供が迷子になって夜遅くになってようやく見つかったときに我が子に駆け寄り抱きしめるような構図に見えます。

 

一方抱きしめられる勝はおどろいてきょとんとしているのです。迷子の親子の再会であればともに安心して泣き出したりしそうなものですが、この二人の間にある温度差がよくわかります。

 

ロシマヤンとしては、この温度差はエレオノールのなんとしてでも勝を一人で守り通そうとする気持ちが強すぎるために生まれる温度差であると思うのです。まだこの時点ではエレオノールの勝への愛情は押しつけがましい一方的なものであった言えるのかもしれません。というのもエレオノールの勝を守りたいという気持ちは、一応勝の祖父正二に恩があるからということになっていますが、実際はエレオノールにこの物語の悪の親玉が埋め込んだ感情であり、エレオノールの普段なかなか笑うことができないパーソナリティーの原因の一つだからです。そしてまた心の底から喜び笑うということの難しさと大切さが世代を超えて憎いくらいにエレオノールには継承されているわけですが、それは最後まで読んでのお楽しみです。

 

半面で勝にはまだべたべたする母親を嫌がり突っぱねるだけの自我も育っていない段階と言えます。3年前に母親を亡くしているわけですから、小学校前半、第二次性成長期に伴われる反抗期を迎えるもっと前の段階で母子のつながりを絶たれている優しい少年です。恥ずかしいからやめてよといったりなんてなかなかできませんし、またなぜエレオノールが自分をここまで献身的に見てくれるのか、きちんと理解できてもいません。『からくりサーカス』は主に3部構成で、主人公3人が出会い勝を守る第1部、人形と各地で鳴海が戦い、一方勝が徐々に成長ししろがねに守られるだけ弱い存在でなくなっていく第2部、そして第3部では一人前になり鳴海に背中を預けられるまでに成長した勝を中心に展開される第3部に分けられますが、現時点では勝は弱虫の泣き虫、母親の愛情に包まれて守られるだけの、母に反抗なんて一切できない成長段階にいるのです。

 

ちなみにユング心理学の中には大地母神やグレードマザーという神話をモチーフにした発達や適応の課題を表現する解釈方法があります。これを使うなら大地母神に飲み込まれ、自分の自我をきちんと育てられるずにいる甘ったれマザコン小僧といったところでしょうか。

 

しかし第2部ではエレオノールの看病を受けるギィにやきもちめいた感情を覚えますし、第3部では複雑な事情からリアルな異性愛を覚えつつもエレオノールの自分への献身を理解します。それはエレオノールが自分を大事に思っているというよりも別の感情であったことわけで子供の成長にとって必要ではあるけれど、相当にショックな出来事でもあるんです。

 

たとえばたいていの子供にとって母は親であり女性ではないでしょう。でも母親だって一人の女性ですよね。子供が成長して手がかからなくなってくれば、趣味の時間も欲しくなるでしょうし、また恋がしたくなるかもしれません。子供にとって母はいつまでも自分のことを無条件に守ってくれる優しい存在であるのが普通ですが、そうではないことがわかり、母であっても一人の女性であると理解できれば、それは子供の成長と自立につながります。一番わかりやすいのが弟や妹が生まれることですけどね。

 

最終的に勝は敬愛してやまない「兄」鳴海のためにエレオノールを守るまでになるんですよね。この物語を最初に読んだとき、勝の未熟っぷりとエレオノールの溺愛っぷりが極端でどうも納得しかねると思って読んでいましたが、きちんと段階を経て成長していく人間を描こうとするとき、このくらいデフォルメされた人格を設定するとマンガって面白くなるんですよね、きっと。

 

落ちこぼれと意外性No.1だけど将来は里一番の忍びである火影になるナルトとかわかりやすいでしょうか。牛乳飲んでおなかくだして、サスケに化けてサクラに告白し損ねたりとか、おもしろいけどかっこ悪すぎでしたもんね。

 

少々物語の先のことに触れてしまいますが、親も子も、人間の成長には当然母性は欠かせない要素です。『からくりサーカス』の中では、どうしても兄弟が注目されやすいと思いますが、母性からこの物語を考えてみてもとても面白いですよね。母性溢れるエレオノールの先祖である女性と、彼女を慕う兄弟がこの物語の始まりですから。ただそれがわかるのはもっと後になってからです。

 

今の時点では、まだまだ不十分な母性しか持ち合わせておらず、子供が自分の手元から離れてしまうのが心配で仕方がない未熟な母親イメージのエレオノールですね。子供と信頼を築き、この子はもう大丈夫だと言えるだけの自身や、ちょっとやそっとくらい子供はやんちゃしたからって大丈夫だと割り切れる肝っ玉母さんっぷりはまったくありません。だから勝のことではついつい不安で過保護になってしまうのです。

 

二人を見つめる鳴海と先生の表情も面白いですね。事情を何も知らない先生にしてみれば突如診療所をギャングが襲撃し勝とエレオノールを取り押さえ殺そうとしている現場を鳴海があっという間に拳法で蹴散らしてしまったのですから安堵の表情ですね。

 

鳴海はというと、どこか拍子抜けした感じに見えます。というのも鳴海とエレオノールは

今日会ったばかりで、しかも互いを勝を襲う者と思い込み一撃を交えたばかりです。しかもエレオノールは鳴海に優しい表情を一度も向けたことがありません。ただし時折エレオノールが勝に向ける表情を鳴海は何度か見かけており、その時はどこかエレオノールの表情に見とれつつ、クールで冷たいふるまいとのギャップに戸惑うような描写がありました。ここで鳴海の見せる拍子抜けした感じも、先ほどまでの一人で戦って見せると言い張る他者を寄せ付けない様子と、自分のふがいなさに落ち込みつつも勝を抱きしめ安心している様子のギャップに戸惑っているのでしょう。一体この無機質で冷たい女がなぜこうまで勝に心底尽くすのかわからないといったところでしょうか。

 

物語の最終戦前夜、鳴海のエレオノールへの思いが表出されるまで、鳴海と勝、エレオノールが出会ってすぐのこれらシーンは忘れられてしまいがちでしょうけれど、とまどいつつも鳴海はエレオノールの時折見せる表情に魅入られていたことがわかります。やっぱり初めて会ったとき、一目で惚れていたんですね。この辺は王道の少年漫画の主人公とヒロインです。

 

それにしても勝以外には優しい表情を一切見せない冷たく笑わないエレオノールと、誰かが笑っていないと呼吸ができず死んでしまうゾハナ病患者の鳴海が、勝を通じて出会うという憎い物語構成になっているんだと気づくと、なんてすごい文章(マンガですが)構成だったのかと作者藤田の切れ者っぷりに感動します。