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ロシマヤンのブログ

心理学の知識を元に、人間の生き方や社会のあり方について

自分なりにいろいろ考えていきたいと思っています。

感想など、コメントいただけると幸いです。

もしテレビ番組の企画で、アイドルが大好きで一日中アイドルを追いかけているいわゆるオタクをテーマにした討論会があったとしたらどんな議論が沸き起こるでしょうか。

追っかけをしていたアイドルが引退するとなったとたん泣き崩れ、放心状態に陥り、なにも考えられずただネット掲示板とただ向き合うだけの人が出てきたりします。そんな人たちをみて


「たかがアイドル一人のために、なにか病的なパーソナリティーの持ち主なんじゃないの」


って批判が飛び交いそうですよね。好きな人がいなくなれば悲しい。それはしかし、ネットやテレビでみて好きなだけの相手がいなくなるだけのこと、嘆き悲しみネットに耽る時間があるなら日々体を鍛え勉学にいそしみ、そして社会の一員として立派に勤めるべきとやくみつるさんなんかだったらおっしゃるでしょうか。


当然オタクとひとくくりにされて不愉快になるひとも出てくるでしょうし、自他共にオタクであると認めるような人からも反論は来るでしょうね。


「そんなのしらねーよ」とか

「ファンの気持ちも知らずにエラソーなこというな」とか


ちょっと言葉達者な人なら


「そういう当たり前のことを堂々と言える人は、自分が幸せなことに気がついていない。日々体を鍛えて勉学にいそしめるような立派な人間ばかりじゃないんだ」


とか切り返したりするでしょうか。


討論会を傍から見ている人にとっては正直なところアイドルだろうが、オタクだろうがなんだろうがあまり関係なくて、こういう論争を一切無視して明日の準備をして早く寝てしまうところでしょうね。


とはいえオタクな人々にとってアイドルとはどうでもいいでは済まされない問題なのでしょう。テレビやネットや劇場で出会える特別な女の子に胸を躍らせる体験、どんな人にでもあるでしょうし、オタク批判をする人だって好きな芸能人の一人くらいはいるものです。



ただ自分で自分を保てないのであれば、それは一個の自立した人間として病的ではないかいう人がいても仕方ないかもしれません。アイドルが辞めてしまったり、アイドルが実は年齢をさば読んでいたり、アイドルの恋愛が発覚したりするたびに、嘆き、悲しみ、そして嫉妬に狂うのはどうなのでしょうね。


「貴方とはまったく無関係の個人が、仕事をやめたり、仕事上プロフィールを偽っていたり、仕事のイメージとは裏腹に恋愛をしていたからって、貴方にそもそも無関係のことでしょう。」


といわれたらまさにその通りです。自分が仕事で解雇されるわけでも、自分の詐欺を受けたわけでも、自分が失恋したりするわけではありませんからね。自分とは関係のないことなのに、そこで一喜一憂してネットの世界に引きこもっているようでは確かに健全とは言いにくいものがあります。


倉橋由美子に『親友』という評論があります。男同士が夜を徹して議論を交わすような友情にこそ倉橋女史は理解を示します。しかし女同士のキャピキャピした、友達が死んでしまったら悲しみに打ちひしがれ、まるで自分の片腕が切り落とされてしまったかのように落ち込んでしまうような付き合いは自分にとって必要ないと言い切るのです。


「死んだしまったのは貴方であって私ではない。まだ生きている私にはもちろん、友人の死を悲しむことも含めて、やらなければならないことがたくさんある。」


そんなお言葉を、もし女史が生きていらしたらいただけるかもしれません。一個の自立した個人として、強い一人の自己として、他者に自分を頼ることなしに、しっかりと生きていける人間でありたい。そういう作家としての力強い生き方が示されているように感じられます。