「習慣」とは、怖ろしいモノである。
例の1日置きにわが家に来る「粉瘤社長」
(彼を紹介してくれた友人は「コー先輩」と呼ぶが、わたしは彼女や粉瘤社長とは違って、出身大学の内部進学生ではない)
の訪問に、わたしはすっかり慣れ果てた結果、わたしは結構、尽くす女になってしまっているのだ!
そう。
わたしは実は結構尽くす女なのだ。
たとえわたしの尽くし方が風変わりであったとしても。
その例がコロナ禍で、死にゆく主人をたったひとりで看取った事が挙げられる。
当初は主人の主治医も歯切れ悪そうに「在宅ホスピス」を受けることに反対していた。
なぜなら、24時間主人の側に誰かが付いていなければならないのに、その人間がわたし、たったひとりだけなのだ。
わたしは介護で倒れるだろう、と医師はわたしの目を見つめて言った。
わたしは歯を食いしばって、無言で頷いた。
次に在宅ホスピスを受けるには、実はかなりの費用が掛かると云う点であるが、それは保険の効く標準治療に加えて、今まで散々、保険の効かない免疫療法だの粒子線治療などの先進医療に加え、代替療法だの補完療法などに何百万円も費やして来たのだから、すっかり金銭感覚の狂っていた当時のわたしにとっては、痛くも痒くもなかった。
ただただ、
「家で死にたい。ほえさんと、猫の側で死にたい。ホスピスに入ったら、コロナのせいで、二度とほえさんにも猫にも会えなくなる」
と主人が言った、主人の最期の願いを叶えてやりたかったのだ。
わたしが主人の主治医にそう告げると、医師は黙って頷いた。
そしてわたしと医師はお互い同時にサッと視線を逸らすと、ふたりとも小さく、ため息のように笑った。
たぶん先生もわたしも、泣いていたのだ。
涙は流さずとも。
だから笑うしかなかったのだ。
そして在宅ホスピスが始まり、やがて終わった。
その間の詳細な記録はあるはずなのに、わたしの記憶はあまりないのだ。
ただ何度も何度も在宅訪問ホスピス医と訪問看護師さんたちに
「奥さん、少し寝て下さい」
と、終いには懇願される様に言われ続けられた記憶と、あとは断片的な映像記憶だけ。
主人との残された日々の中での最大の記憶と感想。
それは信じてもらえないかも知れないが、あの無我夢中の日々こそ、10年間、主人と一緒に過ごした中でいちばん幸福な時間だった、と云う事。
そして、主人がいなくなって、しばらくして、わたしは
「フィールドワーク」
を始めた。
それは決して褒められたフィールドワークではなかったが、主人だってマレーシアのジャングルでフィールドワーク中に野生のノラ象2頭に追いかけられ、死に物狂いで藪に飛び込み、崖から転げ落ちてケガだらけになったと、手振り身振りの大熱演で笑っていたのだ。
そう、身体を張ってこそ「フィールドワーク」であると、主人は笑っていた。
似たような目に何度遭っても、主人は2年も3年もマレーシアの野生生物保護局のあるジャングルに居続けた。
居たいから、居続けたのだ。
If you love somebody, set them free...
さて、人間が自分以外の人や物事に優しくなるためには、ロジカルに考えなければならないのではないかと、わたしは昔から思っている。
「美はただ乱調にある」
アナーキストにして稀代の人たらし、大杉栄の有名な言葉である。
そして、
「諧調は偽りである」
と続くのであるが、わたしはこの言葉には賛同出来ない。
やはり美とは(優しい心は、美の最上のひとつである)、ある種の調和、一定の価値観(それは実は数字で表せると、わたしは言いたい)に従っているのではないだろうか。
たとえ「首が長ければ長いほど美人である」と、大多数の人間には理解出来ない美意識であっても、長さは数字的なものであり、つまりロジカルなものである。
ある人が言う。
「ご主人が亡くなったんだから、5年くらい喪に服せばと思うが」
この言葉は、少なくともわたしにとってはロジカルではない。
単なる感情論である。
だいたい、5年と云う数字はどこから出て来たのか?
では、その人のわたしに対する言葉に、ロジカルに反論するとすれば、
「では、離婚なら、すぐに婚活なり恋活してもいいのですか?」
である。
物事は、感情論であればあるほど、自分の意見をハッキリ言わなければならない。
「おまえのやっている事は見苦しい。アタマおかしい」と。
感情論もハッキリ言えばロジカルな物になる。
なぜなら、キチンと説明出来る事柄になるからである。
そこから対話が生まれ、もしかしたら、「理解」と云う調和が生まれるかも知れないと、夢想家のわたしは思う。
しかしながら、最近のわたしの「フィールドワーク」はすっかり鳴りを潜めている。
1日置きにわが家に来る、大食い粉瘤社長との会話や食事、そして橋本治の「双調平家物語」がもう、メチャクチャ面白いのだ。
お金と時間をケチらずに、もっと早く読めば良かった!
なんし出版直後に飛びついたのに、橋本治、蘇我馬子・入鹿父子から始めるんだもん、最初の2巻で
「いつ平家物語始まんのッ!?」ってムカついて読むのやめた。
書き下ろしで次いつ続きが出るのか分からないし、読もうと思ったら10巻超えてて、まだまだ続きそうだったし。
……で、気づいたら、橋本治、死んじゃってた。
もっと早く読めば良かった。
「窯変源氏物語」あんなに夢中になって繰り返し繰り返し、齧りついて読んでいたのに。
またわたしは取り残されてしまったのだ。
わたしの掴んだものは、わたしの指の間からこぼれて、落ちる。
それでも、わたしの手のひらには、何かキラキラしたものがホンの少し残っているのだ。
昔を今になすよしもがな
しゃーない。
このキラキラをまた、少しずつ集めて、いつか主人と靖子ちゃんに見せてあげよう。