毎年、8月になると法事をどうしようかと思い悩む。


そもそもわたしが結婚を決めたのは、母を安心させるためだった。


30を幾つか過ぎて、10年以上も付き合っている恋人もいるのに、のらりくらりと結婚しなかったのは、わたしは子供の頃から結婚することが怖かったからである。


わたしの子供時代は、全く裕福ではなかったが、明日食べる物がない、と云う深刻な貧困状態でもなかった。


しかしながら、超零細企業を営む両親は仕事で忙しく、わたしは幼い頃から学校から帰ると、夜遅くまでたったひとりぼっちで空腹のまま、長時間も両親の帰りを待たなければならなかった。


猫と本だけが、子供だったわたしの側に寄り添ってくれた。


父と母は会社のことでよく喧嘩をしていた。

そして喧嘩をしては仲直りをしていた。

自分たちの子供であるわたしなどそっちのけで。


そしていつも子供のことなど放ったらかしにしているクセに、挨拶や食事のマナー、そして学期末に持って帰る成績表についてだけは、口喧しく何時間も説教するのだ。


わたしは叫びたかった。

「こんな吹けば飛ぶような超零細運送会社、しかも毎年仕事納めの28日の餅搗き大会にしても、年に1回の社員旅行にしても、従業員のおっちゃんら、一升瓶ラッパ飲みしては喚き散らして大騒ぎしてるのはいいの?」

「こんな環境でヤレ食事のマナーがどうだの、ヤレ勉強しろだの、いったいどの口が言うの?」

「郷に入っては郷に従え、朱に交われば赤くなる。つまり、わたしに説教する時、ためならいや恥じらいの気持ちはないんですか?」


わたしが怒りと口惜しさで震えていると、いつも母は居住まいを正してから、低い、静かな声で同じ様なことを繰り返し言った。


「おまえは美しい。その顔に生んでやった母に感謝せよ」

「おまえは賢い。だから勉強しないのは勿体ない」

「おまえの持って生まれた美しさと賢さに相応しい人間になるためになら、母は援助を惜しまない」


わたしはひっくり返って泣き喚きたかった。

実際、そうしたこともある。

しかし、わたしの言葉や気持ちは決して通じないのだ。

たぶん、父も母もわたしを彼等なりに愛していたのだろう。

でも、それは決してわたしの望む愛ではなかった


そして月日は流れ、わたしに転機が訪れた。

母は極めて悪性度の高い悪性リンパ腫になり、一度寛解したものの、すぐに再発した。

母は遠からず帰らぬ人となることが決定したのだ。

まだ、62歳だと云うのに。


自分の残された時間を知った母は、わたしが10年以上付き合っている恋人と結婚するものと思い決めていた。

彼は母に懐いていた。

彼は母のお気に入りで、そして母のスパイ、わたしのお目付け役だった。

しかし、母がこの世からいなくなるのであれば、わたしはなぜ、彼と結婚しなくてはならないのか。

母の希望に応えて、母を喜ばせる必要など、なくなってしまうのに。


なのでわたしはサッサと恩師に泣きついて、今は亡き主人を紹介してもらい、顔合わせを含めて、たった3回会っただけで婚約した。

お互いに一目惚れだった。

(主人はなんと、顔合わせの席に作業服で来たのだ! わたしは主人の天使の様な浮世離れぶりと、異次元の世界に繋がっているとしか思えない様な知性を、どうしても自分のものにしたかったのだ)


そんな短い間に、母はがんが脳に転移して意識を失い、容態が急変した。

身内以外面会謝絶の中、わたしが婚約したことすら知らずに、母は息を引き取った。


8月30日の金曜日。

お通夜は土曜日、葬儀は日曜日。

日付まで、母らしい死に方だった。


母の葬儀には、お花とお斎だけは張り込んだ。

「冠婚葬祭は花と料理で格が決まる」

腑抜けになった父を完全に黙殺して、生前の母の口ぐせの通りに、お花とお斎には、精一杯お金を掛けた。


母の葬儀に参列して下さった方は全員口を揃えた。

「さすがはカンミちゃん(母のあだ名)やねぇ。こんなお花で山盛りのお葬式は初めてやわ」

わたしは奥歯を噛み締め、泣かずにほほ笑んで頭を下げた。


母の眠る柩は、参列者の方々が何度も何度も順番に入れて下さった花々で、溢れそうに盛り上がっていた。

そして注意深く柩の蓋を閉めて下さったのに、数輪の花がこぼれ落ち、わたしは笑って頷いた。

それは母の言いつけを忠実に実行したわたしへの、母からの感謝のメッセージだと受け取ったのだ。


葬儀会社の方はいつの間に作ってくれたのだろう?

お斎とお骨上げを済また参列者の方々が帰る時、母の使った葬儀室の壁の三方を埋め尽くしていた花々を、リボン付きブーケに仕立てて、司会の女性が出口でひとりひとりに手渡して、お見送りのお手伝いをしてくれたのだ。

それは全くのサプライズだった。


「お葬式のお花って、普通使い回しじゃないの?」

父方の伯母が、戸惑うわたしに何故か詰問するように尋ねると、ブーケを手にした司会女性が澄まして答えてくれた。

「ええ。お花は全部お買い上げ下さいましたので」


母は父と結婚する前に、相次いで両親を亡くしている。

そのため、父方の女性親族は母に何故か冷たく当たり、無能な父は一切、母を庇うようなことはしなかった。

育ちと頭が悪い証左である。


母の葬儀は、無能な父と父方の女性親族たちへの、わたしからの仕返しだった。


その後、母の死によって腑抜けとなった父は、誰に何を吹き込まれたのか、わたしが取り仕切った母の葬儀に対し、酒を飲んではネチネチと文句を言い続けるようになる。

初七日が終わり、次は四十九日の準備をしなくてはならないのに。

しかもわたしは婚約したばかりなのだ。喪中なので、正式なことは出来ないけれども、わたしは結婚するのだ。


酒を浴びるほど飲んでも、嘆き悲しむのなら、わたしも父を許しただろう。

しかし、酔っ払ってはネチネチと、自分の嫁の葬儀を気丈に取り仕切った娘のわたしに絡むとは何事か!


このことが、わたしと父との決定的な決別の始まりだった。